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剣豪「名人越後」富田重政と摩利支天山 宝泉寺
1606年(慶長11)、前田利長の御下知で富田重政は、金沢卯辰山に摩利支天堂を建立。山号を「摩利支天山」と称し、宝泉坊が別当をつかさどりました。これがいまの「摩利... -
空襲除け大護摩祈願 1
金沢空襲を裏づける資料があらわれました!米国立公文書館保管の資料の中から、金沢空襲の偵察写真や当時の作戦計画書などが発見されたそうです。7月17日付の北国新聞の... -
空襲除け大護摩祈願 2
【なぜ金沢が空襲から免れたのか?】金沢が戦火を免れた理由について、「京都や奈良のように都市の文化的価値が考慮されたから」というのがあります。また金沢は、「富... -
摩利支天の隠れ寺、宝泉寺|由来と秘密
宝泉寺は、金沢の隠れ寺(カクレデラ)といわれています。なぜそういわれるのか、解説してみたいと思います。【摩利支天 宝泉寺】朝、外から本堂を礼拝すると、太陽を背... -
前田利家公直属の陰軍団
ひょっとしたら、加賀藩にも忍者がいたかもしれません。テレビで見たような忍者ではなく、すっかり町にとけこんだ、なりすましの忍者だったのかも..【加賀忍び】司馬遼... -
摩利支天と忍者
昨年末、北陸大学の武田幸男教授(地域連携センター長)と学生が、当山本堂に忍者の人形を設置されました。それ以来、「摩利支天と忍者は、どんな関係があるの?」と、...
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護摩木の秘密(2)なぜ年初めの甲子日に護摩木を伐るのか
規定 護摩木となる原木を伐り出す日大切な護摩修行を行うにあたって、「年初めの甲子(きのえね)の日をもって護摩木を伐る」という規定が定められています。下記の記事... -
2020年護摩木づくり・丸香|2月・3月・4月・5月・7月・9月・11月
護摩木・丸香づくり、今年もやってます。護摩を焚く寺院だったら、どこでもやっている日常の風景.. あたりまえのことを、ふつうに続けることが大切です。地味ですが.. -
ささやかないのり コロナウイルス退散を祈願
及ばずながら、コロナウイルス退散と罹患された方々の快癒をねがって祈願させていただきました。【コロナ退散を祈願】金沢・宝泉寺感染症が拡大する新型コロナウイルス... -
護摩木の秘密(1)護摩木となる原木を伐り出す日は決まっているのか?
護摩木をつくる原木を伐る日決まってるのかな?決まってるよ!法の定め。えっ?! まじ..【護摩木となる原木を伐り出す日】定 護摩木となる原木を伐り出す日大切な護摩修... -
2019年護摩木づくり・丸香|3月・4月・5月・6月・9月・10月・11月・12月
2019年、護摩木づくりの記録です。みなさんに助けていただいて、護摩が続けられています。どうもありがとうございます。2019年護摩は、護摩木があるから続けられます。... -
野村さんが設計施工した護摩木小屋
2019年3月21日、当山本堂で野村さんの三回忌法要がおこなわれました。お世話になった野村さんに感謝を込め、お経を唱えて追福菩提をお祈り申しあげました。在りし日のお...
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密教相伝、脈々として伝える法のいのち
真言寺院の本堂内陣には、正面の本尊さまに向かって左右の壁面に、8人のお坊さんの画像がかかっていることがあります。これら8人は、真言密教の教えを順次伝えひろめた... -
摩利支天に帰依し、宝泉寺本堂を再建した三浦彦太郎氏
本堂修理で、現在のお堂が大正期から昭和期にかけて再建されたものであることがわかりました。古記録によると、天保十四(1843)年、火災により堂宇、古記録類一切を焼... -
五本松宝泉寺、金沢市「眺望点」に選定さる!
来年度、金沢市のひがし茶屋街や兼六園など、とくに眺めが優れた地点「保全眺望点」に、長町とともに宝泉寺が追加されることになりました。地元、金沢では宝泉寺のご神... -
第2回火伏せまつり(2018年8月5日)
お天気に恵まれ、待ちに待った火伏せまつりが行われました。長く続くとイイですね。【金沢の歴史と文化を守る「鎮護の祭り」】2018年8月5日(日)9時30分開祭式(ひがし... -
【秘仏】毘沙門天|宝泉寺の仏像
もう一つ、宝泉寺の仏像を紹介します。毘沙門天(びしゃもんてん)です。この寺の仏像は、どなたさまも護摩の薫香で真っ黒ですね。案の定、毘沙門天も真っ黒け!鎧兜に... -
【秘仏】聖観音菩薩|宝泉寺の仏像
「おまえの母ちゃん、コメツキバッタやな〜」誰にでも頭を下げて歩く母の姿をみて、同級生があしざまに言いました。コメツキバッタとは、ショウリョウバッタの別名。 バ...