護摩、一を以て之を貫く

護摩、一を以て之を貫く

おかげさまで護摩一筋、22年。息災護摩供(五段護摩)7500座、正焼八千枚供10度成満。出張日を除いて、ほぼ毎日、本堂(道場)で護摩の修練を続けています。これはひとえに、当山の檀信徒はじめ、みなさんのおかげです。護摩木の調度や堂内の清掃ほか、なにかにつけお力添えをたまわり、心より感謝申し上げます。

護摩は、自分の心の解放だけを目的に修行すればよいかというと、それだけではありません。自分も自由になると同時に、すべての生きとし生けるものを苦しみから解放しなければなりません。それはなぜかと言うと、自分が苦しみを望まないように、すべての生きものは苦しみを望んでいないのですからです。生きとし生けるものが、この世の苦しみから解放されるよう、それを願い続けていくことが、真言行者の生きざまです。

及ばずながら、生きとし生けるものを苦しみから解放するように、それを私自身がやらせていただくと誓います。すべての生けるものを救いたいという願いをもって、これからも護摩を続けたいと願っています。

まずは、護摩木から

しかし、毎日護摩を焚くには大量の護摩木が必要です。毎年、雪解けを合図に護摩木となる樹木を伐採し、斧や鉈で割って護摩木を作り始めます。それでも足らないので、材木屋さんから端材をちょうだいして、それでもってまかなっています。

規定通り裁断した護摩木は、戸外で護摩木を洗浄され、乾燥後に収納し、数をかぞえ、束ねて、紐で縛って、ようやく護摩木となります。気が遠くなる作業です。いつも檀信徒のみなさんに手伝ってもらって、なんとかできています。本当にありがたいことです。

洗浄した護摩木を境内で天日干し
洗浄した護摩木を境内で天日干し

護摩木の種類

護摩木は、各段のはじめに護摩炉の上に組み上げる「段木」(だんもく)と、それより少し小さめで、供物として用いる「乳木」(にゅうもく)があります。

乳木は支木(しもく)ともいいます。厳密には、乳木は2種類。「二十一支」(にじゅういっし)と「百八支」(ひゃくはっし)です。乳木は、その名のとおり樹液がしたたり落ちる生木を用いるのが正式とされています。

段木も乳木も、木の根元側(本)と枝先側(末)という方向に厳密で、護摩木を準備する過程で、根本側になる端に墨汁で黒く塗って印を付けておきます。実際の護摩修法では、段木を組むときには、古式に則り、決められたとおり本末の順番に従わなければなりません。乳木を炉に投じるときも同様です。これら段木と乳木を使って護摩の修法をします。

護摩木に用いる樹木

本来、護摩木(乳木)には吉祥樹(インドボダイジュ)、優曇鉢羅(ウドンゲノキ)、佉陀羅、阿没羅(マンゴウ)、あるいは遏迦羅(アコン)を用いるようですが、日本の真言宗では白膠木(ヌルデ)をもって護摩木としています。

これは、護摩を説く経典に「吉祥樹(インドボダイジュ)をもって護摩木となし、この木なければ白汁ある木をもってこれに代わるべし」とあるからです。ヌルデは枝を折ると、白色の粘っこい樹液を出します。インドボダイジュやウドンゲノキのない中国では、もっぱらヌルデを護摩木に用い、それがそのまま日本に伝えられたようです。

とはいえ、昨今、インドボダイジュやウドンゲノキの代用として用いられたヌルデでさえ入手がむつかしくなってきました。それでやむなく、代用品のまた代用品として、もっぱらスギなどを使うのです。

スギでつくった乳木を護摩炉で焼いても、ちゃんと白い樹液が出てきますので、これはこれでよいと思っています。

毎日護摩の修練を積むための方便の一つとして、スギもまた許されるでしょう。

護摩木小屋

「これで、また20年、護摩が続けられますね」

完成した小屋をごらんになった方がつぶやきました。

昨年、檀信徒のみなさんが大切な護摩木を収納する小屋を作ってくださいました。小屋の設計から施工まで、すべて檀信徒の手作りです。涙が出るほどうれしかったです。積み上がった護摩木を見上げるたび、終わりのない護摩修法にのぞむ勇気が奮い立ちます。

護摩木づくりに汗を流してくれる仲間とともに、すべての障りを除いて、みほとけさまの智慧を得て、たとえどんな艱難にあってもそれを乗りこえていく力を養い、さとりの道を完成していきます。継続は力です。負けません。

オンボウジシッタボダハダヤミ

平成29年7月吉日

金剛子雅榮

護摩木小屋 金沢宝泉寺
護摩木小屋 金沢宝泉寺
護摩木小屋(内部)
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オンマリシエイソワカ
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摩利支天山略縁起

摩利支天山 宝泉寺 略縁起

天正十一年(1583)、前田利家公が加賀国金沢城入城の際、城内の越後屋敷の地に摩利支天堂を創建し、摩利支天尊を自らの守護神として奉安し信仰崇拝されました。また利家公は末森の戦や関東の戦では、摩利支天尊を兜の中におさめて出陣せられ、加護を受けられたことはつとに有名です。

慶長六年(1601)、二代目利長公のとき、金沢城の鬼門(北東)にあたる向山の中腹に一万坪の地を寄進せられ、城内の摩利支天尊を当地に移築奉安し、「摩利支天山」と命名され、加賀百万石の「鬼門封じ」とし、別当宝泉坊が勤仕したのが、当寺の起こりです。

慶長十一年(1606)、利常公が「名人越後」と呼ばれた剣聖、富田越後守重政に堂宇を建立させてより、摩利支天尊は金沢城を眼下にするこの山頂に鎮座し、加賀百万石の城下町を守護され、巨益霊験を施し給うことは枚挙に遑ありません。

日本三摩利支天

これすなわち摩利支天山宝泉寺の名、四方に高き所以であります。金沢宝泉寺の加賀百万石の摩利支天、京都建仁寺の禅居庵の摩利支天、東京上野の広小路の摩利支天が「日本三摩利支天」と称されています。

当山はわが国随一、真言密教の護摩法を用いて、秘仏本尊・摩利支天を供養する寺院として知られています。

日本三摩利支天
オンマリシエイソワカ
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摩利支天のかたち

摩利支天のかたち

摩利支天には、種々の形像がありますが、二臂(ひ=手の数)、六臂、八臂像に大別することができます。

二臂像については、『摩利支天経』に、そのお姿が説かれ、持物の天扇は、摩利支天の徳である「隠れる」ということを象徴しています。

六臂像と八臂像については、宋代の天息災によって全訳をみた『大摩里支菩薩経』にその像容が説かれています。

摩利支天の獸座

摩利支天の乗り物としてイノシシがよく知られます。

摩利支天の獸座「イノシシ」
摩利支天の獸座「イノシシ」

多臂像の摩利支天の持物の中でも、とりわけ針と糸が有名です。持物に針と線とを執ることは仏像の持物としては非常に珍しく、これは悪人の口や眼を縫うことを意味しています。

インドにおける摩利支天像は、ナーランダに十世紀頃の密教像があり、三面六臂の浮彫に造られています。また三面六臂でイノシシに乗る形は、チベットにも作例があります。

金沢 摩利支天 宝泉寺
イノシシ(うりぼう)

中国における摩利支天

中国においては、唐代頃から摩支利天信仰が始まり、『摩利支天経』の漢訳者である不空三蔵が、摩利支天像を刻み、それに大仏頂陀羅尼を書いて、王子のために守護神としたことが『表制集』にみえます。

残された作例としては、五代頃の敦煌出土の紙本画が、大英博物館とギメ美術館とに残っています。いずれも唐代の盛装の天女の姿をとる二臂像で、天扇を手に執っています。太陽を背にして描かれていることは、摩利支天は陽炎にして、常に日前を行くとされていることを表わすものでしょう。

わが国における摩利支天

わが国では、奈良時代に不空訳の『摩利支天経』は請来されていますが、その造像例を確かめることはできません。平安時代には、入唐八家達によって同経典や陀羅尼が盛んにもたらされ、諸図像集中には唐代の服制をした摩利支天図が数多く収載されています。彫像や絹本着色の本尊像の遺品はほとんどありません。

近世になると、武人達の信仰を背景に、イノシシの背に立つ摩利支天の画像や版画が多くみられます。時代が下がるにつれ、いさましい姿の摩利支天が多くなるようです。

7という數

太陽神マーリーチー(摩利支天)は、陽炎を神格化した女尊。その起源は、ヒンドゥー教の太陽神(スーリヤ)に関係があります。図像的にも類似し、スーリヤが7頭立ての馬車に乗るのに対して、マーリーチーは、7匹の猪が引く車に乗るという特徴を持っています。

ほかにも、7頭の獅子に乗るみほとけに大日如来(ヴィローチャナ)がいます。また、火天(アグニ)の乗る車も7枚の舌をもった馬が引くと言われています。これらから、7という数字は太陽をめぐる神々のキーナンバーであることがわかります。

7という数字は、すなわち完全性や秩序、さらにはここからの超越を示す存在をあらわしています。たとえば『旧約聖書』の「創世記」において、神は世界を7日で創造したとされ、釈尊は誕生の直後に北に向かって7歩進み、「天上天下唯我独尊」と獅子吼されたと伝えられています。7歩の歩みは、超越的な存在への移行をあらわしています。

オンマリシエイソワカ
オンマリシエイソワカ

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年中行事・アクセス

摩利支天山宝泉寺の年中行事

12月31日(除夜の鐘)開運一番護摩供
1月1日から7日初詣・祈願
1月中旬より星供(北斗護摩供)
2月3日星供結願祭
3月1日ねはんだんご
4月1日甘茶のおせったい
5月15日・16日摩利支天山春季大祭(16日午後2時から大般若経転読法会)
6月愛染王敬愛護摩供
7月13日〜15日お盆
7月〜9月流潅頂
10月15日・16日摩利支天山秋季大祭(16日午後2時から大般若経転読法会)
12月厄除け
12月(年末)すすはらい
お知らせ〈これからの行事予定〉
当山では、毎朝本堂で護摩修行をしています。定期的に特別な修行に取り組むこともあります。なにかとご不便をおかけいたしますが、よろしくお願い申し上げます。

摩利支天のご縁日

おついたちまいり
毎月1日午前11時より
護摩と法話があります。
一日におまいりすると、摩利支天さまの大きな功徳を得られます。

摩利支天さまのご縁日(毎月1日)午前11時より、みなさまとごっしょに護摩供を奉修いたします。護摩の後、わかりやすくて、ためになる法話があります。どうぞおまいりください。

ご祈願・お護摩・ご相談など

随時承ります。念のため、事前にお電話下されば幸いです。

アクセス

金沢宝泉寺MAP
金沢宝泉寺MAP

タクシー

JR金沢駅からタクシーが便利です。

東山(ひがしやま)の「宇多須神社(うたすじんじゃ)」の角を曲がって、「山の尾(やまのお)」の上。子来坂(こらいざか)を上りきった「五本松 宝泉寺(ごほんまつ ほうせんじ)」 と、おしゃってください。

金沢市東山「ひがし茶屋街」メインストリート真上に位置するお寺です。こんもりした森の中にあります。心臓やぶりの「子来坂」のぼってきてください!

みなさまのご来山お待ちしております。

合掌

〒920−0836 
石川県金沢市子来町57 
076−252−3319
宝泉寺 
通称(五本松)
オンマリシエイソワカ
オンマリシエイソワカ

お知らせ〈これからの行事予定〉

知る人ぞ知る金沢の絶景

知る人ぞ知る金沢の絶景

私だけのフォトスポットを見つけたい

宝泉寺から
東茶屋街を
見おろせば
いらかの波が
漆黒に光る

地元っ子にこっそり教わったのは
宝泉寺境内からの眺めでした

町ナカを歩くことが多い金沢旅。ときには、ゆっくり景色を楽しむ時間を持ちませんか? たとえば、、卯辰山(うたつやま)のふもとに立つ宝泉寺からの眺め。今や金沢随一の観光名所としてにぎわう「ひがし茶屋街」も、ここから見おろせばしっとりした雰囲気。昔ながらの黒い瓦屋根が続き、加賀藩が築いた格式高い茶屋街の姿を今に伝えます。天気がよければ落陽の景色も見事。泉鏡花や芥川龍之介ら文豪も愛した絶景です。

宝泉寺 加賀藩主・前田利家の守護神「摩利支天(まりしてん)」を本尊とする高野山真言宗の寺。境内にはご神木の五本松(ごほんまつ)があり、”卯辰山の五本松”ぼ名で親しまれている。卯辰山山麓の子来坂(こらいざか)を200mほど登った先にある。金沢市子来町57 ☎076・252・3319

(小学館『和楽』2・3月号,2017年)

金沢宝泉寺から見る百万石の城下町
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オンマリシエイソワカ
オンマリシエイソワカ

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子来坂 子来坂東郭から子来町を通って卯辰山へ登る。中腹宝泉坊の境内に五本松が亭々と聳えていた。鏡花は「五本松の枝のはずれに、城の町は、川も橋も城も森も天守の櫓も、処々に薄霞した一枚の絵双六である」と其の風景を叙している。城を望む絶佳の眺望は桜坂からのそれと双璧をなす。 (森八、1982年カレンダー...
御神木「五本松」 御神木「五本松」金沢 宝泉寺の御神木「五本松」金沢市の市街地の東に、卯辰山というおだやかな姿をした山があります。その山麓から子来坂を、約200メートル登った右側に、摩利支天山宝泉寺(高野山真言宗)があります。ここは、金沢市街を一望できる景勝地で、境内に、ご神木「五本松」...