〒920-0836 金沢市子来町57
電話 076-252-3319
高野山真言宗 宝泉寺
通称「五本松」(ごほんまつ)
\ 宝泉寺は、ココ! /
密教ではある目的に対して特定の本尊をまつり、それにみあった真言を唱え、印契をむすんで、定められた作法をおこないます。修法です。加持祈祷、祈願といわれているものです。
さまざまなやり方があって、一口では解説できませんが、護摩祈願の場合、ざっくりわけると、次の四つです。
護摩修法で着る法衣
日常の勤行や護摩などの行法には、褊衫(へんざん)と裙(くん)を用い、その上から如法衣(にょほうえ)という袈裟(けさ)を着装します。着用順序は同色同材質の裙をつけ、褊衫を左前に着て、如法衣。現在に残る日本の服装で、左前に着る衣服は褊衫だけです。上の写真が褊衫と裙、如法衣を1セットにして、折りたたんだもの。左から白色(息災)・黄色(増益)・黒色(降伏)・赤色(敬愛)。四種護摩法にしたがって、衣の色を変えて護摩修法しています。写真は、住職着用の護摩用の僧衣四組です。
護摩修法の祈願内容は、国家的規模の大きなものから、個人的な目的のために行うものまでさまざまなレベルの修法があります。大きくわけて、息災(そくさい)・増益(ぞうやく)・降伏(ごうぶく)・敬愛(けいあい)の4つ。「四種護摩法」です。
これら四種の祈願を目的とする四種護摩法を明確に区別するために、お経によっては行者の向かう方向、火を焚く炉の形、着る衣の色などを厳密に識別しています。
密教学者として著名な頼富本宏先生は、四種法の意味内容をエネルギーの動きと関連づけながら、わかりやすく解説されています。
まず、なぜ護摩をたくのかといえば、最も多い目的は、息災といことである。これは、漢字のごとく「災いを息(やす)める」こと、換言すれば、力(エネルギー)の動きを示すベクトル的にいって、現在はマイナスであるものを少なくともゼロにしようとする祈願で、病気の平癒、厄年の無事、安産などの願望があげられる。
第二の増益は、現在ゼロ、つまり普通の状態にあるものをプラスにする修法であり、寿命長延、商売繁盛、学力増進、子孫繁栄などがあげられ、息災と並んで密教護摩の中では最も人気を得ている。
最後の降伏、もしくは調伏(ちょうぶく)は、現在プラスあるいはゼロの状態にある他人の運命を、いっきょにマイナスにしようとするもので、かつては戦争や政争に多用されたという。現在でいうならば、環境破壊、人権侵害などわれわれの身近に生じているさまざまな問題があげられる。
なお、『大日経』の「世出世護摩法品」では、以上の三種の祈願目的が説かれているが、後世では、増益の中から、とくに男女の恩愛、目上の人からの恩顧などを別出した敬愛(けいあい)を加えて、いわゆる四種法を説くことが多い。
(頼富本宏著『大日経』入門、大法輪閣)
頼富先生の解説をまとめるとると、次のようになります。
・息災とは、現在、マイナスのエネルギーを少なくともゼロにする祈願
・増益とは、現在ゼロをプラスにする祈願
・降伏とは、現在プラスあるいはゼロの状態にある他人の運命を、いっきょににマイナスにしようとする祈願
・敬愛とは、男女の恩愛、目上からの恩顧などの祈願
さらには修法の目的によって、護摩を焚く炉の形や拝む方角、行者の着る衣の色など、もっともふさわしいものに決められています。下記の通りです。
四修法 | 炉の形 | 拝む方角 | 色 | 住職がよく拝む護摩祈願の本尊 |
息災法 | 円形 | 北 | 白 | 摩利支天・仏母大孔雀明王・不動尊・聖観音 |
増益法 | 方形 | 東 | 黄 | 摩利支天・弥勒菩薩・地蔵菩薩・弘法大師 |
降伏法 | 三角形 | 南 | 黒 | 摩利支天・不動尊 |
敬愛法 | 蓮華形 | 西 | 赤 | 愛染王 |
摩利支天さま
守備範囲、ひろい!
イメージをかいつまんでまとめると、こうです。
もっとくわしくみると、
息災法を修するには、行者は北方に向かい、色は白で、護摩炉は円形を用いることになっています。
行者が北に向かうのは、季節にすれば冬にあたり、五行(古代中国の学説でいう5つの元素)に配当すれば水にあたります。冬は草木が枯れる季節なので除災にあてはめ、白い僧衣を着用。護摩法では、息災をもって四種法の基本とします。
増益法を修するには、行者は東方に向かい、黄色の僧衣を被着し、護摩炉は方形を用います。
東方に向かって修するゆえんは、東方は四季に配すれば春。五行では木にあたります。春は陽気が発生して万物生長の季節です。黄色は大地のイメージ。すべてを生み出すところです。
降伏と聞くと、なんとも恐ろしい感じがしますね。昔、高野山で聖教調査のお手伝いをしていた時、降伏(調伏)法の戦国時代のテキストに遭遇。某合戦のみぎり、祈祷した旨の朱書がありました。
しかしながら本来は、自他の煩悩や悪業の勢力を調伏するのが目的。決して自分の利害打算やうらみで修法するものではありません。降伏法は、仏さまの大きな慈悲心によって修されるものですから、修法の目的がかなったあと、息災法を修して相手に慈悲を注ぐことになっています。
降伏法を修するには、行者は南方に向かい、黒色の僧衣を被着し、護摩炉は三角形を用います。
南方に向かって修するのは、南方が四季に配するときは夏に相当し、五行に配するときは火にあたるからです。夏は炎熱さかんにして万物を焼き、火も同様、ものを焼き尽くします。黒色は風のイメージ。強烈な風ですべてを吹き飛ばして壊してしまいます。
敬愛法を修するには、行者は西方に向かい、色は赤で、護摩炉は蓮華形を用いることになっています。
西方に向かうのは、四季に配するとき、西方は秋。五行では金(ゴールド)にあたります。秋は万物が実を結ぶシーズン。金はみんな大好き。敬愛法に相応します。赤色は和合敬愛の象徴。和合と親睦を祈る法にふさわしい色です。
これら四種法を行ずるにあたって、修法を始める時間や坐り方なども細かく定められています。作法においては、さらに細かいところまで注意が行き届いています。
密教の修行方法は、微に入り細にわたって説かれてるんだね。
及ばずながら小生のできる範囲で、願主より承った祈願の目的にふさわしい本尊をおまつりして、定められた色の法衣を着て拝んでいます。かれこれ20年以上このスタイルでやってきました。
ただ自坊の本堂の構造上、どうしてもできないことがあります。
だからといって、私はあきらめません。創意工夫をこらしてのりきります。
自坊の護摩壇は、本尊摩利支天を拝むために設計されており、現在、円形火炉でもって東南に向かって修法するようになっています。
これを四修法に照らして考えると、円形の火炉は息災。東方位は増益、南方位は降伏ですね。ということは、当山で修法する摩利支天護摩供は、息災と増益と降伏を兼ねたものであることがわかります。もっとも、ここでいう調伏・降伏とは、自分自身の煩悩滅尽を祈ることをいいます。
そのほかの護摩修法においては、もとからある円形の火炉の上に、目的に合わせて方形や三角径の炉を重ねて拝んでいます。
いまではすっかり慣れて、わざわざ方形の火炉をのせなくても、円形のまま、別の形をイメージして修法ができるようになりました。円形の周辺に蓮華を観じれば、敬愛法(蓮華形)として修法することも可能です。
方角については、磁石が示す方角でなくても、それにふさわしい方角であると観じて修法することにしています。たとえば弥勒菩薩増益護摩供の場合、来臨を請うた弥勒菩薩のいます方角を東とみて、方形の火炉をおいて、黄色の僧衣を着て護摩を焚くというあんばいです。
四種法がもつ特徴的な色合いについては、それぞれの修法にふさわしいカラーの僧衣を着ることで、異なる色の秘密を読み取ることができます。
それぞれエネルギーの動きを示すベクトルが異なる四つの修法。これらをまんべんなく体験することで、修行にメリハリをつけることができます。
住職、テキトーだなぁ〜
という声もあるかもしれません。
しかしそうではありません。密教には「運心(うんじん)と隋方(ずいほう)」という智慧があります。
少しお話が横道にそれるかもしれませんが、たとえばですよ。ふつうお堂は南面をもって標準とします。本尊の左方(東)に胎蔵マンダラ、右方(西)に金剛界マンダラをかけますね。艮(丑寅)の方角は北東の隅です。これを「随方(ずいほう)」といって、磁気コンパスの示すとおりの方向、方角によるものです。
ところが境内の広さや位置関係からお堂のすべてを南面にすることはできないこともあります。ましてや本尊のふさわしい方角もあって、すべてを南面にすることはできません。
たとえば実際には東面しているお堂があるとします。南面していると観念して、本尊の左方(北)に胎蔵マンダラ、右方(南)に金剛界マンダラ。艮を北西の方角に、心の中で「南面している」と心を運んで観念します。実際に磁気コンパスの示す方向ではありません。これを「運心(うんじん)」といいます。北面、西面の場合も、同じく南面していると観じることが運心です。修法から生まれた叡知ですね。
四種法のうちいずれを修法をするにせよ、法にかなった方角だと、心を運んで観念すればよいということです。
できないからといって、簡単にあきらめず、創意工夫を凝らす。なんとしてもやりぬく決意と実践、継続。密教が何より大切にしているところですね。
法を体得するために、心を運んで観念をする。
これもまた大切な工夫の一つであると心得ています。
いずれにせよ伝授阿闍梨から教わったとおり、法に従ってきちんと修法すれば、たしかに本尊さまのお導きがあります。こんな私でもです。
真言を唱え、印契をむすんで修法することは、そのまま本尊さまの内証を追体験して、自分の身体で実証すること。
現世利益(げんせりやく=神仏を信仰することによって現世において得られる利福。現益)は、行者が求めるものではなく、仏となる(近づく)ことによって必然的にあらわれる効験に過ぎません。
修法で生まれる利益(りやく)を多くの方々に廻向(えこう)するばかりです。
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