毎月1日は、摩利支天のご縁日。午前11時から護摩と法話があります。

住職、どんな人?

私が護摩に打ち込む理由

 

はじめまして、宝泉寺住職 辻雅榮です。

 

高野山で生まれ育って35年。お山では、ずいぶんお世話になりました。

 

1995年(平成7)、ご縁をいただいて、私は金沢市にある「宝泉寺」という小さなお寺の住職になりました。それから今日に至るまで、出張で留守の日以外、毎日護摩を焚いて、早22年。毎日、護摩を焚いているのは、もともと火を焚くのが好きだったこともあります。しかしそれだけではありません。あるお坊さんとの出会いが無ければ、私は、ここまで護摩を真剣に修行することはなかったのです。

金山穆韶先生へのあこがれ

 

そのきっかけとなったお方は、「昭和の弘法大師」と誰もが尊敬した、高野山の管長様にもなられた金山穆韶(かなやまぼくしょう)先生でした。でも当時、すでに金山先生(1876-1958)は、お亡くなりになっていました。

 

なのにどうして、金山先生とお出会いがあったかというと、当時、私は「高野山霊宝館」という高野山にある美術館に勤めていました。そこで私は、たまたま「金山穆韶師遺徳展」(=金山穆韶先生が後世に残した大切な道)というテーマで展覧会を担当することになり、それがきっかけで金山先生の業績や著作、遺品などを集めて調べることになったのです。

 

それで高野山中のお寺や、かつて教授だった高野山大学に残されている物を調べていた時、金山先生の自筆のノートに出会ったのです。それを読んだ時の衝撃は忘れることがありません。そのノートが私の人生を変えることになったのです。そして私が一生をかけて進むべき道を決定づけたのです。

金山穆韶先生

 

その小さなノートには、金山先生の修行のすべてが記録されていました。先生が三十年間、高野山奥之院の弘法大師のお墓に毎日おまいりされたことや、護摩を一千回焚く「千座護摩(せんざごま)」という修行の詳細が記録されていました。

 

「千座護摩」は、一千回護摩を焚けば、それで終わりかといえば、そうではありません。一千回護摩を焚いたその翌日から、またカウントをゼロに戻して、再び護摩を焚き始めるのです。そうなんです。永遠に終わらない護摩修行。これが「千座護摩」なのです。

 

金山先生は、この修行を亡くなるまで続けておられました。私は、それに強く感動したのです。これこそが、本当の修行だ! これこそが、生涯をかけて積み上げてゆく修行のやり方だ、と直感したのでした。

 

金山先生のノートには、次のようなことも書かれていました。わかりやすい言葉に置き換えてご紹介いたします。

 

 

高野山にある某院において、第七百回目の護摩を修法すると、突然、雷が鳴って雨が降り出した。

 

護摩壇に上って、護摩を始めると、不思議と雨が上がって太陽が照りつけ、さわやかな気配でお堂が満たす。


護摩が終わって、高野山の重要な聖地であり、弘法大師が最初に造営された壇上伽藍を参拝すると、ちょうど午後六時の時を告げる鐘が地響きとなってゴ~ンと鳴る。

 

その瞬間、私はさとりを得た。それは、大日如来そのものになった弘法大師の心を理解できた。それは確信に満ちたものである。

 

 

高野山根本大塔と高野四郎

高野山根本大塔と高野四郎

 

これこそ、まさしく、金山先生の宗教体験でした。この文章を読んで、私は震えました。なぜなら金山先生は、日々護摩修行を続け、ついに天地万物が総掛かりで、一人の人間を守り支えてくれているという厳然たる事実に気づかれたのです。すべてのものが金山先生を保護し、はぐくんでくれている。太陽も月も水も空気も、みんな力を合わせて、金山先生を生かすことに関わり果てている。その一大事に気づかれたのです。

 

私はそう思いました。真言密教は、本当にすごいと思いました。

修行のまねごと

 

それからです。金沢市のお寺の住職になってからは、きっと私も護摩を毎日続ければ、そのような体験ができるのではないかと信じて、金山先生と同じように護摩の修行に没頭するようになりました。今では、護摩が毎日の習慣になっています。

 

ある日の事です。いつものようにお堂に一人入って、護摩を修行していると、あたりは静寂に包まれていました。ところが風の香りがすると、突然風が吹き、雨が降ると念じたら雨が降りだします。雨が上がると念じたら小鳥がさえずりはじめ、太陽の光がさし込できて、自分でもびっくりしました。大自然と自分とが一つになった時間でした。「やっとここまできたな」と思いました。

 

真言密教は、自然を尊びます。真言宗は、大きな自然である大宇宙が仏様の身体であり、自然の中の風や鳥や光や木や花や動物たちもが、大日如来に代わって説法してくれると考えるのです。人間が一番偉いのではなく、人間も自然の中の一つに過ぎない。人間の命も鳥の命も野菜や山の木々の命も、その自然の中に存在するすべてのいのちが調和して、お互いを支え合っている。

 

この「尊い真理」を頭で理解するまでもなく、その日のお堂での護摩の時には、自分の身体が勝手に、『ウ~ン』とうなずいたのです。真言護摩の真理に触れた瞬間でした。

 

こんな私でさえ体験できるのですから、真言密教は、本当にすばらしいと思いました。何がどのようにすばらしいのかというと、いつでもだれでも、規則通り、素直に修行をすれば、まちがいなく正しい宗教体験〈三昧〉が得られるからです。そのための手順が、すでに確立されています。それがすばらしいのです。先人の智慧。だから普遍性のある宗教体験が可能なのです。

 

さらに修行を深めてゆくと、よりいっそう具体的な啓示を受けられるようになってきます。

ささやかな体験

 

こんな不思議な経験もしました。私は、金山先生を尊敬し思慕しておりながら、金山先生のお墓がどこにあるのか、その場所を知りませんでした。弘法大師の御廟がある高野山奥之院のどこかに、金山先生のお墓があるだろうとは想像していましたが、奥之院への参道には、二十万とも三十万ともいわれるお墓があります。その中で金山先生のお墓を見つけるの簡単ではありません。誰かに教えてもらわなければ、お墓を探し出すことは不可能でした。

 

高野山奥之院の参道

高野山奥之院 参道

しかしある日、護摩修行の合間に、高野山奥之院を参拝し、弘法大師のお墓でお経を唱えていました。すると尾っぽの長い、美しい声で鳴く小鳥が私の目の前に飛んできたのです。そして私がお経を唱えている間、尾っぽを振りながら鳴いていました。

お経が終わって、お大師様に守っていただいている事を感謝し、来た道を帰ろうとすると、その小鳥がまるで道案内をするように私の10メートルくらい先を飛んでゆくのです。 すでにあたりは暗くなり始めています。私は小鳥に導かれるように、たくさんのお墓が立ち並ぶ参道を歩いて、そうして、約2キロもの道のりをその小鳥が案内するままに奥之院の参道の入り口近くまでもどってきたのでした。

 

そのときです。突然、小鳥が右方の薮の中に入って、もっと大きな声で鳴くのです。

「どうしたんだろう?」と気になって、小鳥の後を追って藪の中に入ると、そこが、金山先生のお墓でした。長い間、私が探していた金山先生のお墓でした。道案内してくれた小鳥は、どこかに飛んで行ってしまいました。

 

私は、思わず金山先生のお墓の前にひざをついて、これまでのお導きに感謝し、護摩の継続を金山先生のお墓に誓いました。いつまでも涙が止まりませんでした。

人というのは、時間と空間を超えて、昔の人から今の人へ、大切なことが伝わってゆくのですね。

 

みなさんの家でも、生前におじいさんや、おばあさんから伝えられた大切な事や宝物があるはずです。たとえば先祖供養の大切さや、厄年のお清めなどですね。もっと昔から伝わっている別のものがあるかもしれません。それを大切にして、皆さんの子供や孫が大人になった時にそれを伝えてください。昔の人が伝えてきた事や物は、正しい事が多いからです。

 

涙をふきながら、暗くなった空を見上げると、大きな月が輝いていました。本当に不思議なこともあるものですね。これは、金山先生が私の護摩をいつも見守っていて下さっているお陰かもしれません。

 

護摩という修行は、何回やっても完成ということはありません。修行者が真理を求め続けるかぎり、修行が続きます。

 

及ばずながら、私が護摩を続ける理由が、ここにあります。

 

2018年2月4日 立春大吉

 

宝泉寺住職 辻 雅榮

「虹の冥想」井潟密雄さん撮影

「火生三昧」(Studio IGATA 井潟密雄さん撮影)

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護摩、一を以て之を貫く

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