〒920-0836 金沢市子来町57
電話 076-252-3319
高野山真言宗 宝泉寺
通称「五本松」(ごほんまつ)
\ 宝泉寺は、ココ! /
この仏さまは、どなた?
なぜ手、いっぱいあるの?
足で踏まれているの.. だれ?
こういうとき頼りになる書籍があります。
仏さまの図典です。
手元にある数冊を紹介させていただきます。
日本の仏さまを知りたいとき、最初に開く一冊が、コレ!
佐和隆研先生の編纂した仏像研究の古典的名著。多くの仏像ファンも、よりどころとする座右の書ですね。
写真原版が古いせいか、図版(白黒)がわかりにくいという点もありますが.. 手元に置いておきましょう。
日本美術史(建築史・彫刻史・絵画史・工芸史・書跡史)上で重要と思われる作品・記事のなかから、典拠により年紀を明らかにしうるものを取りあげられています。
図版はオールカラー。年表は「作品」と「事項」の二欄に分けて収録されています。
時代を代表する基準作を知るための図典として、私は使っています。ながめているだけでワクワク、楽しいですよ!
程度のいい古書、いろいろ出回っているようです。
これは図典ではありませんが、日本の仏教図像がたくさん集められています。
幕末の画僧・大願の工房の粉本(ふんぽん=下絵、画稿)を初公開する貴重な絵画資料集。
儀軌に従った図像から民俗神まで約1,000点の図像が収録されいます。
仏画の資料として活用できます。京都市立芸術大学資料館の編集です。
近世末期、大願律師を中心に京都頂法寺内六角堂能満院に仏画工房が開かれていたそうです。この工房で模写、制作された粉本が「田村宗立旧蔵粉本」(=六角堂能満院仏画粉本)という名称で京都市立芸術大学に所蔵されていました。
仏画工房は、天保年間(1846–44)の後半から元治元年(1864)まで存続。その活動の中心人物は、道場を主宰した大願と、弟子大成・雲道・宗立でした。
宗立が遺された粉本写本を継承し、のち京都府画学校(京都市立芸術大学の前身)の教師となったが、没後の大正八年(1919)にその遺族が同画学校に寄贈したといわれています。
これら粉本総数は2,500点にのぼり、仏教関連図像はじめ、神仏習合神や民俗神にいたるまで幅広く収集されています。その描線のすぐれた筆致は平安・鎌倉時代の仏画のそれに匹敵するものとされ、たいへん貴重です。
限定本につき、古書もそれほど多く出回っていないようです。
六角堂能満院仏画粉本
近世末期、大願律師を中心に京都頂法寺内六角堂能満院に仏画工房が開かれていたそうです。この工房で模写、制作された粉本が「田村宗立旧蔵粉本」(=六角堂能満院仏画粉本)という名称で京都市立芸術大学に所蔵されていました。
仏画工房は、天保年間(1846–44)の後半から元治元年(1864)まで存続。その活動の中心人物は、道場を主宰した大願と、弟子大成・雲道・宗立でした。
宗立が遺された粉本写本を継承し、のち京都府画学校(京都市立芸術大学の前身)の教師となったが、没後の大正八年(1919)にその遺族が同画学校に寄贈したといわれています。
これら粉本総数は2,500点にのぼり、仏教関連図像はじめ、神仏習合神や民俗神にいたるまで幅広く収集されています。その描線のすぐれた筆致は平安・鎌倉時代の仏画のそれに匹敵するものとされ、たいへん貴重です。
限定本につき、古書もそれほど多く出回っていないようです。
密教図像に興味をお持ちの方は、いまのうちにゲットしておいてくださいね。
チベットの仏さまや神さまを知りたいときは、田中公明先生による「チベットの仏たち」です。
お釈迦さま、大日如来さまから護法尊まで、チベット密教の豊饒な宇宙を基本図像を使って、正しくていねいに解読してくださっています。全65話。挿図がいっぱい。
チベットの仏さまに接する人は、常備すべき御本です。読みやすくて、わかりやすいですよ。
第三十五話「マーリーチー」
(前略)
チベット人は治安の悪いところに生活していた上、交易や巡礼のため長距離の旅行をすることが多かったので、護身のための本尊を必要不可欠なものと考えていました。
(略)
(『チベットの仏たち』田中公明 p.186-189)
宮坂宥明先生の美しいイラストに、森雅秀先生の明解な解説。夢のような図典です。
チベット密教にあらわれる仏さま・神さまオールスターズが勢ぞろい! 見どころ満点。
手にとって、パッと開いたページから読み進められます。仏さまのかたちから、密教が学べますよ。
同書「マーリーチー」の中で、宝泉寺が紹介されていますよ
マーリーチー(摩利支天)
マーリーチは日本密教でも信仰される女神で、摩利支天(まりしてん)あるいは摩里支天などと音写されて表記される。マーリーチー(mārīcī)は普通名詞で、太陽や月の光、とくに暁の曙光を示す言葉であった。
また、月と太陽に蝕をおこすラーフとも関係があるとされる。
日本では陽炎(かげろう)とも理解され、ちょうど陽炎のように姿が見えなくなったり、見えても実際にはいないことから、摩利支天法という行法が武士の間に広まったという。
戦場においてこれを実践すれば、隠身の術となって敵に討たれず、また敵を容易に討つことができるのである。
金沢の卯辰山(うたつやま)に摩利支天を祀る宝泉寺(ほうせんじ)という真言宗の寺院があるが、ここは金沢城の鬼門の方角にあり、城を守る役目を担っていたという。
(以下略)
(『チベット密教仏典』森雅秀【著】・宮坂宥明【画】P.232〜235)
《おまけ》宝泉寺のイメージキャラクター「まりちゃん」誕生秘話
宝泉寺のイメージキャラクターは、いまから7年ほど、当時高校生だった次女Kが描きました。それをのちに、PCでリライトしたのがこのまりちゃんです。金大に入学しておきながら森雅秀先生の授業は受けずじまい.. ご指導を仰いでいたら、また違ったイラストに仕上がっていたかもしれませんね。
イラストを描くにあたって、日本でよく見られる三面八臂の立ち姿の摩利支天を参考にしていたように思います。なのに、できあがったイラストは、イノシシに横座りする女の子でした。
まりちゃんのなかに静と動を両立させ、なおかつ構図を安定させるため、女の子を横座りさせたようです。
最近になって、イノシシに横座りするマーリーチーの図像がチベットに伝存していたことを知りました。あるんですね!
まりちゃんは、三面あるべき顔を一つにまとめ、キュートな面立ちに仕上げられています。
てへっ..
Kが生まれて初めて描いた仏画が、摩利支天。しかもチベット風に横座りする多臂像というのが、おもしろいなー
インスピレーションがわくまま、ペンタブ(のペン)を走らせたようです。
もう一冊。頼富本宏先生と宮坂宥明先生監修による図像集を紹介します。チベットの図像集なかでは、最大級のものといわれる『八千頌般若経』の図像を集めた御本です。
ローケーシュ・チャンドラ博士が復刻した図像に、宮坂宥明先生が木版画を布に手刷りして収集されたショル版を比較対照し、欠落を補って完成させた1,156点もの図像が掲載されています。
『般若経』が説くところの図像に限らず、チベット仏教の歴代ラマの肖像がたくさん含まれています。現在のダライラマ14世や、その家庭教師となったリン・リンポチェ、ティチャン・リンポチェの肖像もおさめられていますよ。
巻末には、知りたい図像をパッと見つけられるリストがまとめられています。
マンダラは、いずれまた..