城下をみまもる観音さま

遊戯観音像(1) 金沢宝泉寺

素敵ですね。

あの観音さまは、どなたですか?

境内を掃除していると、よく聞かれます。

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遊戯観音=ゆげかんのん

遊戯観音=ゆうぎかんのん」様です。仏教では「ゆげかんのん」と読むのかな

え? おゆうぎの「遊戯」ですか?

そうですよ。直訳すると、遊び戯れている観音さま!

観音さまは、三十三にも姿を変えて、この娑婆世界に遊ぶといわれています。ここでいう「遊ぶ」とは、「遊戯」という意味ですね。

古来、インドでは、神さまのはたらきを「遊び」と言い習わす伝統があったようです。「遊び」は、楽しいもので、イヤイヤやるものではありません。心から楽しんでやるものです。融通無碍(なにものにもとらわれない自由な境地)のはたらきでもあります。私たちのちっぽけな自我意識を大きな大きなさとりの世界にとけこませ、さとりの世界でゆったり遊ぶことをあらわしています。

遊戯観音像 金沢宝泉寺
遊戯観音像(全体) 金沢宝泉寺

遊び戯れるとは、ケシカラン!?

「遊び」「戯れ」という言葉に引っかかる人もいらしゃるでしょう。まじめで勤勉な日本人は、遊びや戯れを嫌います。しかし仏教にも「遊戯」という言葉があります。

どういうことかというと、仏さまが私たちのために、心から喜んで遊び戯れるように、私たちを救い助けるというはたらきを示してくださっているのです。

いざ観音さまが私たちを救おうとするとき、汗水たらしてふうふういいながら必死で救われるのでは、救われるほうがしんどくなりますよね。余裕しゃくしゃくの面持ちで、遊び戯れるように救われたほうが、救われるにしてもありがたいですね。遊戯の境地です。

いつも忙しくて、自分のなすべきことで頭がいっぱいだったら、他者を助けるどころではありません。

かたや仏さまは、いつも気持ちにゆとりがあります。その時々の場面や状況に応じて、適切な救済を私たちに施してくださるのです。柔軟で融通無碍なリラックスされたお姿が、それをよくあらわしています。

まりちゃん

観音さまの前にたたずんで、美しいお顔を拝していると、次第に心が落ち着いて、及ばずながら、観音さまの無礙自在の境地に近づけたような気がしてくるから、不思議。

仰ぎ見る角度によって、お顔が違って見える

観音さまは、ほぼ等身大。観音さまが座る台座や雲を含めると、約4メートル。右手でそっとカラダを支え、左手を腿に下ろし、右足を垂れ下して雲の上に座るリラックスしたポーズで、城下をみまもっておられますね。

向かって左側からみるお顔は歌舞伎役者のように凜々しく、正面からみるお顔は青年のように若々しく、右側からみると女王のような気品に満ちています。その日の天候や、仰ぎる見る人の心情、立ち位置によって、実にさまざまな表情をみせてくださいます。

遊戯観音像(1) 金沢宝泉寺
遊戯観音像 (1)
遊戯観音像(2) 金沢宝泉寺
遊戯観音像(2)
遊戯観音像(3) 金沢宝泉寺
遊戯観音像(3)

宝泉寺の高台に鎮座まします観音さまは、リラックスしたお姿で、今日も百万石の城下町(金沢)をみまもっておられます。

そして、ふと後ろをふりかえると、金沢市街を一望するパノラマが拡がっています。

金沢宝泉寺から眺める眺望は、まさに絶景。

ドーンと拡がる景色をみていると、もやもやとした気持ちが吹き飛んでしまいます。

宝泉寺からの眺望
宝泉寺からの眺望
まりちゃん

観音さまの足下の芝生に座って冥想される人もいるよ。
座りたくなる気持ち.. わかる、わかる。

まりちゃん

住職の写真ヘタだな〜 ぼけぼけだよ
バッチリきまった観音さまのお写真、
どなたさまか無料提供してくだらないかしら..
このページの写真と差し替えて、紹介したいなぁ

いただきます。あわせて目を通していただきたい記事があります。

いわゆる座禅は、習禅にあらず。ただこれは安楽の法門なり。

永平寺の道元禅師が著作のなかで、「座禅は修行ではない。仏教を楽しむことだ」と、おっしゃっています。まさに遊戯の境地ですね。

私の護摩の修練も、歯を食いしばってがんばってきたわけではありません。みなさんに助けてもらいながら、工夫しながら楽しんでやってきました。このスタイルは、これからも変わらないと思います。

いよいよ遊戯観音さまの境地にあやかって、みなさんとともに、より楽しく生きるための護摩でありたいと願っています。

住職

護摩を楽しむ!

まりちゃん

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