〒920-0836 金沢市子来町57
電話 076-252-3319
高野山真言宗 宝泉寺
通称「五本松」(ごほんまつ)
\ 宝泉寺は、ココ! /
護摩供の第4ステージが「諸尊段(しょそんだん)」です。
仏様のマンダラ世界は、持ちつもたれつ、お互いさま!
相互供養と相互礼拝が織りなすマンダラ世界。
息災護摩法(仏・菩薩の力などによって災厄を消滅させる護摩法)では、諸尊段で三十七尊を供養します。三十七尊とは、金剛界曼荼羅の根本の諸尊です。人、呼んで「マンダラ・オールスターズ」‼
諸尊段では、マンダラの諸尊を次のように勧請します。
尊名をあげると、次のようになります。
五仏 | ①毘盧遮那如来(中)⑥阿閦如来(東)⑪宝生如来(南)⑯阿弥陀如来(西)㉑不空成就如来(北) | 5尊 | ||
四波羅蜜菩薩 | ②金剛波羅蜜菩薩(東)③宝波羅蜜菩薩(南)④法波羅蜜菩薩(西)⑤羯磨波羅蜜菩薩(北) | 4尊 | ||
十六大菩薩 | 菩提心門東 | ⑦金剛薩埵菩薩(西)⑧金剛王菩薩(北)⑨金剛愛菩薩(南)⑩金剛喜菩薩(東) | 4尊 | |
福徳門 南 | ⑫金剛宝菩薩(北)⑬金剛光菩薩(東)⑭金剛幢菩薩(西)⑮金剛笑菩薩(南) | 4尊 | ||
智慧門 西 | ⑰金剛法菩薩(東)⑱金剛利菩薩(南)⑲金剛因菩薩(北)⑳金剛語菩薩(西) | 4尊 | ||
精進門 北 | ㉒金剛業菩薩(南)㉓金剛護菩薩(西)㉔金剛牙菩薩(東)㉕金剛拳菩薩(北) | 4尊 | ||
八供養菩薩 | 内四供養 | ㉖金剛嬉菩薩(東南)㉗金剛鬘菩薩(西南)㉘金剛歌菩薩(西北)㉙金剛舞菩薩(東北) | 円輪内四隅 | 4尊 |
外四供養 | ㉚金剛焼香菩薩(東南)㉛金剛華菩薩(西南)㉜金剛燈菩薩(西北)㉝金剛塗香菩薩(東北) | 第二重四隅 | 4尊 | |
四摂菩薩 | ㉞金剛鉤菩薩(東)㉟金剛索菩薩(南)㊱金剛鏁菩薩(西)㊲金剛鈴菩薩(北) | 第二重 | 4尊 | |
計37尊 |
これらの諸尊をマンダラの配置に従って尊別に分類し、所属・尊名・尊形・梵号・種子・三摩耶形(三形)・真言などについてカンタンにご紹介いたします。
密号(みつごう)密教における名前です。金剛号、潅頂号ともいいます。
種子(しゅじ)諸尊の具えている功徳などをあらわす梵字を高野山の一伝に従ってカタカナで記しました。
三形(さんぎょう)三昧耶形の略。仏菩薩が一切衆生を救済する本願を示すために手に持っているものなどです。
尊形(そんぎょう)仏尊のお姿を線描であらわしています。
真言(しんごん)ふつうよく用いる真言をカタカナで記しました。高野山の読みに従いました。
五仏(ごぶつ)とは、金剛界曼荼羅の根本となる5人の如来様です。
種子と真言には異説もありますが、今は中院流所伝によるものとします。
金剛界曼荼羅を説く『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』には、毘盧遮那如来(大日如来)と大毘盧遮那如来の区別が明確に説かれています。毘盧遮那如来とは教主で、曼荼羅の中心に位置する主尊。大毘盧遮那如来は曼荼羅そのもの、マンダラに登場するすべての諸尊の本体です。
仏智の恒常不変な総体。この智慧の発する光明の働きが、以下の四仏の「四智」として示されます。
真実をそのままに、曲解や偏見を離れてとらえる智慧。毘盧遮那如来の東方に位置する阿閦如来があらわします。阿閦如来は、煩悩をのりこえる「菩提心」(さとりを求めようとする決意)を覚醒させます。
現象はすべてひとつの事実の表れとして根本的な同一性を持ち、生命すべて限りない貴さをもつ点で平等であると知る智慧。南に位置する宝生如来が代表します。宝生如来は、修行の福徳によって、衆生の願いを満たす宝「如意宝珠」をそなえています。
主観的な価値判断を離れて心の対象を見つめ、その真の姿を知る智慧。西方の無量寿(阿弥陀)如来によって示されます。無量寿如来は、すべての衆生の苦悩や疑惑をそれぞれ見抜き、救済する如来です。
人々を精神的に向上させ、最終的にさとりに至らせる智慧。北に位置する不空成就如来が表します。「不空成就」という尊名の由来は、確実に(空しくなく)仏様の働きを成就する尊という意味です。
四波羅蜜菩薩(しはらみつぼさつ)は、四仏が大日如来に向かって奉仕する姿をあらわした菩薩様です。
種子と真言には異説もありますが、今は中院流所伝によるものとします。
毘盧遮那如来の東方に位置します。阿閦如来が毘盧遮那如来を供養するために出現させた女尊。金剛波羅蜜の「金剛」は、菩提心(さとりを求めようとする決意)が堅固であることをあらわしています。「波羅蜜」とは、彼岸にいたるという意味。菩提心の力によって、彼岸にいたるという誓願をもった菩薩です。
毘盧遮那如来の南方に位置します。宝生如来が毘盧遮那如来を供養するために出現させた女尊。財福を他に与えたり、教えを説き示す「布施波羅蜜」の徳をあらわす菩薩です。
毘盧遮那如来の西方に位置します。無量寿如来が毘盧遮那如来を供養するために出現させた女尊。すべての事物をありのままに観る叡智である「般若波羅蜜」の徳をあらわす菩薩です。
毘盧遮那如来の北方に位置します。不空成就如来が毘盧遮那如来を供養するために出現させた女尊。羯磨とは精進のこと。飽きたり気をゆるめたりしないで修行を積む「精進波羅蜜」の徳をあらわす菩薩です。
十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)のうち、まずは、阿閦如来のまわりに配された4人の菩薩様です。
種子と真言には異説もありますが、今は中院流所伝によるものとします。
阿閦如来の西方に位置しています。菩提心がもっとも大切であることを示し、人々に菩提心をおこさせ、真の自己にに目覚めさせる菩薩。大日如来の教えを受けとめる衆生の代表者。真言行者の理想的な姿を示しています。
阿閦如来の北方に位置します。古来より偉大な国王は、その徳によって人々を引き寄せて導きました。このことにたとえて衆生を引き寄せて、菩提心をおこさせ、仏道に引き入れることが、あたかも王のようであるという菩薩。
阿閦如来の南方に位置します。本来捨てるべき愛着や貪欲の本源を洞察すると、清らかな菩提心となんら変わらないという「煩悩即菩提」の境地を表す菩薩。愛染明王と同体だとされています。
煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)=相反する煩悩と菩提(悟り)とが、究極においては一つであること。煩悩と菩提の二元対立的な考えを超越することです。大乗仏教で説かれています。
十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)のうち、宝生如来のまわりに配された4人の菩薩様です。
種子と真言には異説もありますが、今は中院流所伝の次第によるものとします。
宝生如来の北方に位置します。菩提心によって開かれた「宝」の世界を人々に与えて、人生観を大きく変えてゆく教化の働き(潅頂)をになう菩薩。
インドで国王即位の時、頭頂に四大海の水をそそいだ儀式をいう。密教では、頭の上に如来の智慧の水をそそぐ儀礼。この智慧の観ずることによって世界観を変える教化の一つです。
宝生如来の東方に位置します。金剛宝菩薩の潅頂の徳を受けて、自分の内に秘められていた清らかな心が大きく外に現れ出た光明の耀きをあらわす菩薩。
宝生如来の西方に位置します。智慧の眼が開け、すべて照らし出されたとき、進むべき道が確立することをあらわす目印となる幢幡をもつ菩薩。
宝生如来の南方に位置します。人生の指針を見いだし、迷いの雲を払い除け、暗闇の中に光を得た喜びを微笑であらわす菩薩。
十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)のうち、無量寿如来のまわりに配された4人の菩薩様です。
種子と真言には異説もありますが、今は中院流所伝の次第によるものとします。
無量寿如来の東方に位置します。ハスの花は、清らかな菩提心をあらわしています。決して泥に染まらず、清らかな花を咲かすたとえのとおりです。観音菩薩と同体とされます。
無量寿如来の南方に位置します。迷いを断ち切る智慧の働きを鋭利な剣であらわします。文殊菩薩と同体とされます。
無量寿如来の北方に位置します。手に持つ輪は、確かな智慧を得て小さな自己を乗り越え、新たな世界に転じてゆくことの象徴。纔発心転法輪菩薩(ざいはっしんてんぼうりんぼさつ)といわれています。わずかに菩提心を起こしただけでも、ただちにさとりにいたるという菩薩。
無量寿如来の西方に位置します。真実の言葉が大勢の人々を教え導く説法の働きをあらわした菩薩。
十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)のうち、不空成就如来のまわりに配された4人の菩薩です。
種子と真言には異説もありますが、今は中院流所伝の次第によるものとします。
不空成就如来の南方に位置します。両手を合わせて頭まで差し上げ合掌し、仏様の衆生済度の働きが極まりなく充実していることをあらわす菩薩。
不空成就如来の西方に位置します。堅固な智慧によって精進を重ね、心をかき乱す煩悩と戦ってゆく働きを示す菩薩。
不空成就如来の東方に位置します。ありとあらゆる魔性をかみ砕く牙を象徴とする菩薩。
不空成就如来の北方に位置します。自分との戦いに打ち克って、すべての悩みから解放された境地を示す菩薩。
内四供養菩薩(ないのしくようぼさつ)は、大日如来が四仏の供養にこたえて、四仏を供養するために出生した4人の菩薩様です。内輪の四隅に配されています。種子と真言には異説もありますが、今は中院流所伝の次第によるものとします。
大日如来が東方の阿閦如来を供養するために出生した菩薩。腰に手を置き、自信に満ちた態度でもって、阿閦仏如来の菩提心を体得したという喜びを賛嘆してやみません。
大日如来が南方の宝生如来を供養するために出生した菩薩。手に取る華鬘(けまん)でもって、宝生如来の福徳と智慧の徳を讃えています。
大日如来が北方の無量寿如来を供養するために出生した菩薩。弦楽器を奏で、歌をうたって、無量寿如来の清らかな心にこたえようとしています。
大日如来の北方の不空成就如来供養するために出生した菩薩。舞踊の姿でもって、不空成就如来の精進の徳を礼賛しています。
外供養菩薩(げのしくようぼさつ)は、四仏が大日如来の供養にこたえて、大日如来を供養するために出生した4人の女尊。第二重の四隅に配されています。種子と真言には異説もありますが、今は中院流所伝の次第によるものとします。
阿閦如来は、大日如来の供養にこたえるために悦びの三昧に入って、雲海のような焼香供養をし、あまねく一切の金剛界に広げて金剛焼香菩薩をあらわします。
宝生如来は、大日如来の供養にこたえるために宝荘厳という三昧に入って、一切の華の供養で厳飾し、虚空界に広げて金剛華菩薩をあらわします。
無量寿如来は、大日如来の供養にこたえるために光明による供養の三昧に入って、光明の供養によって飾り、法界に行きわたらして金剛燈菩薩をあらわします。
不空成就如来は、大日如来の供養にこたえるために塗香による供養の三昧に入り、一切の塗香供養で荘厳し、法界に行きわたらせて金剛塗香菩薩をあらわします。
大日如来が一切衆生をマンダラに引き入れ、導入し、留めおいて、歓喜せしむるために出生した4人の女尊を四摂菩薩(金剛鉤菩薩・金剛索菩薩・金剛鏁菩薩・金剛鈴菩薩)といいます。種子と真言には異説もありますが、今は中院流所伝の次第によるものとします。
鉤・索・鏁・鈴の四摂菩薩の一。東門に位置します。金剛の鉤(かぎ)をもって、一切の諸尊を曼荼羅に引き寄せ、衆生を救います。
鉤・索・鏁・鈴の四摂菩薩の一。南門に位置します。金剛の索(なげなわ)をもって、一切の諸尊を曼荼羅に導入し、すべての衆生を救いとります。
鉤・索・鏁・鈴の四摂菩薩の一。西門に位置します。金剛の鏁(くさり)をもって、一切の諸尊を曼荼羅に留めおき、すべての衆生を救います。
鉤・索・鏁・鈴の四摂菩薩の一。北門に位置します。金剛の鈴(すず)をもって、曼荼羅の一員になった一切の諸尊を歓喜せしめ、すべての衆生を解脱せしめます。
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大日如来の四つの智徳が、阿閦如来・宝生如来・無量寿如来・不空成就如来の四仏となって顕現します。
四仏の作用が、それぞれの四親近菩薩の姿とあらわれて十六大菩薩となるのです。
四仏が大日如来に向かって奉仕する姿が、四波羅蜜菩薩(金剛波羅蜜菩薩・宝波羅蜜菩薩・法波羅蜜菩薩・羯磨波羅蜜菩薩)となってあらわれます。〈図2)
それに対して大日如来より、四仏に向かって供養されるのが内の四供養菩薩(金剛嬉菩薩・金剛鬘菩薩・金剛歌菩薩・金剛舞菩薩)です。(図3)
さらに四仏より、大日如来に供養するのが外の四供養菩薩(金剛焼香菩薩・金剛華菩薩・金剛燈菩薩・金剛塗香菩薩)です。(図4)
この大日如来と四仏が相互に供養することによって、これら五仏の徳がいよいよ輝きを増すのです。
相互供養を重ねながら大日如来はすべての生きとし生けるものをマンダラに引き入れ、導入し、留めおいて、歓喜せしむるために四摂菩薩(金剛鉤菩薩・金剛索菩薩・金剛鏁菩薩・金剛鈴菩薩)を出生させます。(図5)
これが、金剛界曼荼羅にみる諸尊による相互に供養し、相互に礼拝するマンダラ世界。さとりの智慧が躍動している姿です。
かつて、高野山親王院前官中川善教大僧正は、諸尊段における三十七尊出生の秘密について、次のようにおっしゃいました。
三十七尊出生の深重なる不思議事業は、真言行者能くこの三昧に入れば、供養雲海を起こして自他の利行を成就することができる。これ自身本具の佛性を顕在化したものであり、密厳浄土の現世なる顕現を具象したるものであり、金剛頂宗の真面目ここに在りといわねばなるまい。
現代風に言うなれば、次のようになるかと思います。
三十七尊が出生するという大変不可思議な活動は、弘法大師の教えを実践する人が首尾よくこの三昧に入れば、すべてに行きわたる供養をおこなって自らの仏道修行により得た功徳を自分が受け取りながら、他者の利益をもはかることができる。
これは、自分自身が持っていた仏性を形としてあらわしたものであり、密厳浄土は、実はこの世界がそれにほかならないことを具体化したものである。
真言密教の真面目、ここにありと言わねばならない。
おかげさまで、ありがとう!
仏様のマンダラ世界は、持ちつもたれつ、お互いさま。
三密によって荘厳される密厳浄土は、実はこの世界(今、私たちが生きている世界)が、それにほかならないことを三十七尊が教えてくれました。
私たちもまた、マンダラ世界を生きるネットワークの一員だということを!
この世に生きとし生けるものは、おのおのに供養して供養される、相互の関係によってのみ自ら生成し伸長をとげることができます。そのすべての供物によって、あるいは犠牲によって、おのおのが生かされているのです。
ありとあらゆるすべてのものは、いずれもすべて大日如来の生命を宿しています。自らの使命を自覚して、つとめはげみ、お互いに認めあって、尊敬しあって生きてゆかねばなりません。
及ばずながら私も、諸尊段で相互供養の三昧に入ってマンダラを供養し、そこで得られた功徳を多くの方々に差し向けたいと考えています。今後ともよろしくお願いいたします。
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