毎月1日、摩利支天のご縁日。午前11時から護摩と法話があります。

護摩|蓮華蔵世界

奈良の大仏様(毘盧遮那仏)東大寺

奈良の大仏様(毘盧遮那仏)東大寺

三千大千世界を図にあらわしたもっとも古いものは、奈良の大仏様の台座に毛彫(けぼり)されたものです。

奈良の大仏様は、東大寺の御本尊様の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)。『華厳経(けごんきょう)』などの教主です。毘盧遮那仏は、太陽の光明を仏格化した仏様で、仏様の智慧の広く限りないことをあらわしています。

この毘盧遮那仏が大きなハスの花(蓮台)に座っておられ、その蓮弁一枚一枚に多くの須弥山世界があって、その上に仏様の世界が細い線で刻まれています。この毘盧遮那仏を中心とした世界が「蓮華蔵世界(れんげぞうせかい)」です。

持ちつもたれつ、お互いさま。すべてはつながり、光り輝いて、キラキラ!

 

蓮華座に描かれた須弥山

奈良の大仏様の蓮華座に刻線された須弥山

蓮華座に描かれた二十五界

奈良の大仏様の蓮華座に刻線された二十五界

蓮華座に描かれた釈迦如来

奈良の大仏様の蓮華座に刻線された釈迦如来

《参考文献》大橋俊雄著「仏教の宇宙」東京書籍、1986年

この複雑な線描は、いったい何をあらわしているのか、さまざまな学説があるようです。しかし、ざっくり言えば、毘盧遮那仏の宇宙的な世界を表現しているようです。さまざまなお経の説くところを参考にして、作ったのではないかと考えられています。

なかでも、このたぐいまれな構想のよりどころとなっているお経が『華厳経(けごんきょう)」です。華厳の教えでは、「事々無礙法界(じじむげほっかい)」とか、「重々無尽(じゅうじゅうむじん)」などの思想を説いています。事々無礙法界でいうところの「事」は、物質のことです。「事」と「事」すなわち物質と物質。それらは個々独立に存在していて、一見無関係のように見えますが、実のところ、無関係に存在しているのではないというものです。

たとえば自坊の境内に梅の木があります。寺と梅はともに物質であり、個々に存在しています。しかし梅があることで、寺はずいぶん助かるのです。梅の木を放っておけば、伸び放題になってしまいますが、若い枝を注意深く剪定すれば、それで散杖(さんじょう)が作れます。まっすぐな枝の皮をむいて、よく乾かせば、堅くてりっぱな散杖になります。散杖とは、密教で加持香水(かじこうずい)を散ずるのに用いる、長さ50センチメートル内外の梅で杖状に作った仏具のことです。

梅は、雪融けの時節に美しい花を咲かせ、北陸に春の到来を告げ、6月には大きな実をたくさんつけてくれます。暑い日が続けば、知らず知らずのうちに、「がんばってるね」と声を掛けながら水をあげています。こうして寺と梅の事々無礙の関係は、どこまでも続いてゆくのです。無関係に存在しているのではなく、どこまでも限りなく続いて重々無尽です。

この事々無礙法界は、自坊における護摩にも言えます。私一人だけが、護摩を続けているのではありません。檀信徒のみなさんといっしょに、一つになって、私は護摩を焚いているのです。

護摩木を作ってくださる檀信徒と護摩修法する行者との関係が、事々無礙にして重々無尽だからこそ、護摩が続けられているのです。肝心の護摩木が無ければ、護摩修法したくてもできません。たくさん護摩木を作ってくださるからこそ、護摩が継続できているのです。そして毎日護摩を修法するからこそ、檀信徒に病気や悩みなど、新たな問題が生じたとき、私はしっかりと檀信徒に向き合っていけるのです。

護摩のご利益をさずかった人は、まず何より喜ばれ、その喜びは、さらに仏様を信じる強い気持ちにもつながってゆきます。ご利益で信じることの喜びを味わって、また護摩木作りに汗を流してくださるのです。当山の檀信徒と行者は、持ちつ持たれつお互いさま。すべてはつながり、光輝いています。事々無礙にして重々無尽です。

ささやかですが、これが私にとっての蓮華蔵世界です。

梵網経(ぼんもうきょう)にみる蓮華蔵世界

蓮華蔵世界重々無尽の関係を具体的に説いたお経が『梵網経(ぼんもうきょう)』です。真言宗の常用経典の一つでもあります。

我今盧遮那 方坐蓮華台 周匝千華上 復現千釈釋迦 一華百億国 一国一釈迦 各座菩提樹 一時成仏道 如是千百億 盧遮那本身 千百億釈迦 各微塵衆 倶来至我所 聴我誦仏戒 甘露門則開

【和訳】我れいま盧遮那仏、まさに蓮華台に坐す。周匝せる千華の上に、また千釈迦を現ず。一華に百億の国あり、一国に一釈迦います。おのおの菩提樹に坐して、一時に仏道を成ず。是のごとき千と百億とは、盧遮那を本身とす。千と百億との釈迦、おのおの微塵の衆を接して、ともに我が所に来至して、我が仏戒を誦するを聴きて、甘露の門すなわち開けぬ。

梵網経』には、中央に毘盧遮那仏がいらっしゃって、それをとりまくハスの花びらの上には、1000人のお釈迦(しゃか)様がおられます。また一つの花には100億の国があって、一国にはそれぞれお釈迦様がおられると説かれています。

100億人のお釈迦様が、それぞれ国のボダイジュの下に坐って、時を同じくしてお悟りを開かれたということです。おのおのの花びらにあらわれた1000人のお釈迦様と、1000億国の100億人のお釈迦様は、いずれも毘盧遮那如来を本体とする化仏(けぶつ)。これらの釈迦様は、おのおの数えきれないほどたくさんの衆生を引き連れて、毘盧遮那仏のところに詣でて、毘盧遮那仏のありがたいお説教を聴聞されているのです。

このような毘盧遮那仏を中心とした、事々無礙法界重々無尽の世界である蓮華蔵世界の理想をこの世に創りだしたのが、奈良時代の国分寺です。中央に総国分寺として東大寺を建てて毘盧遮那仏をおまつりし、地方の国分寺には薬師如来を安置されました。

けぶつ【化仏】
仏・菩薩が衆生(しゅじょう)救済のために、神通力によって現わし出した仮の姿。化身(けしん)、アヴァターラ。

大仏様の蓮弁一枚一枚に、お釈迦様を中心とした須弥山世界が広がっています。

須弥山図

須弥山図

《参考資料》禿氏祐祥編『須弥山図譜』龍谷大学出版部、1925年。

奈良の大仏様(毘盧遮那仏)は、大きな大きなハスの上に座っていらっしゃいますが、その蓮弁一枚一枚に、須弥山世界の上に位置するお釈迦様(釈迦如来)が見事な刻線であらわされています。釈迦如来の左右には菩薩たちが集まってお説法を聞いています。お釈迦様の頭の上から雲のようなものが出て、その上に化仏(けぶつ)が配されているようです。

菩薩たちの下方には、25段にわかれた世界(二十五界)が展開し、仏様の顔やお屋敷(樓閣)がたくさん彫られています。

二十五界の下方には、須弥山(しょみせん)を中心とした世界があらわされています。こうした世界が1000集まって小千世界。小千世界が1000集まって中千世界。中千世界が1000集まって三千大千世界です。

だれが一番大きい(スケールのでかい)歌をよむかという競争

余談ですが、あるとき、豊臣秀吉公の御前で、だれが一番大きい(スケールのでかい)歌をよむかという競争が行われたそうです。

一人の家臣が進み出て歌います。

須弥山に腰うちかけて眺むれば 雲の海原目の下にあり

すると、他の家臣が、私のほうがもっと大きい歌を、といって次のように歌いました。

須弥山にかけたる人を手にとりて ぐっと呑めどもノドにさわらず

そこで、秀吉の寵臣で一番の智恵者である曾呂利新左衛門(そろりしんざえもん)がもっと大きい歌を歌います。

須弥山にかけたる人を呑む人を 鼻毛のさきで吹きとばしけり

もはやこれ以上大きい歌をよむものがあらわれず、新左衛門の勝ちが決まりました。

なんであれ、須弥山がスケールの大きいものの象徴だったようです。

まりちゃん

毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)は、私たちが今生きている宇宙そのもの。宇宙を身体にする仏様。そのスケールがあまりにも大きすぎて、目に入ってこないだけ。だから私たちが今生きているということは、自分は意識しないけれども、実は、毘盧遮那仏の真っただ中を生きているんだよ。うれしいなぁ〜

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