〒920-0836 金沢市子来町57
電話 076-252-3319
高野山真言宗 宝泉寺
通称「五本松」(ごほんまつ)
\ 宝泉寺は、ココ! /
おかげさまで護摩一筋、22年。(2016年12月現在)
息災護摩供(五段護摩)7500座、正焼八千枚供10度成満。出張日を除いて、ほぼ毎日、本堂(道場)で護摩の修練を続けています。これはひとえに、当山の檀信徒はじめ、みなさんのおかげです。護摩木の調度や堂内の清掃ほか、なにかにつけお力添えをたまわり、心より感謝申し上げます。
護摩は、自分の心の解放だけを目的に修行すればよいかというと、それだけではありません。自分も自由になると同時に、すべての生きとし生けるものを苦しみから解放しなければなりません。それはなぜかというと、自分が苦しみを望まないように、すべての生きものは苦しみを望んでいないのですからです。生きとし生けるものが、この世の苦しみから解放されるよう、それを願い続けていくことが、真言行者の生きざまです。
及ばずながら、生きとし生けるものを苦しみから解放するように、それを私自身がやらせていただくと誓います。すべての生けるものを救いたいという願いをもって、これからも護摩を続けたいと願っています。
しかしです。毎日護摩を焚くには大量の護摩木が必要です。毎年、雪解けを合図に護摩木となる樹木を伐採し、斧や鉈で割って護摩木を作り始めます。それでも足らないので、材木屋さんから端材をちょうだいして、それでもってまかなっているところです。
規定通り裁断した護摩木は、戸外で護摩木を洗浄されます。乾燥後に収納し、数をかぞえて束ね、紐で縛って、ようやく護摩木となります。本当に気が遠くなる作業です。
いつも檀信徒のみなさんに手伝ってもらって、なんとかできています。本当にありがたいことです。
護摩木は、各段のはじめに護摩炉の上に組み上げる「段木」(だんもく)と、それより少し小さめで、供物として用いる「乳木」(にゅうもく)があります。
乳木は支木(しもく)ともいいます。厳密には、乳木は二種類。「二十一支」(にじゅういっし)と「百八支」(ひゃくはっし)です。乳木は、その名のとおり樹液がしたたり落ちる生木を用いるのが正式とされています。
段木も乳木も、木の根元側(本)と枝先側(末)という方向に厳密で、護摩木を準備する過程で、根本側になる端に墨汁で黒く塗って印を付けておきます。実際の護摩修法では、段木を組むときには、古式に則り、決められたとおり本末の順番に従わなければなりません。乳木を炉に投じるときも同様です。これら段木と乳木を使って護摩の修法をします。
本来、護摩木(乳木)には吉祥樹(インドボダイジュ)・優曇鉢羅(ウドンゲノキ)・佉陀羅・阿没羅(マンゴウ)・あるいは遏迦羅(アコン)を用いるようですが、日本の真言宗では白膠木(ヌルデ)をもって護摩木としています。
これは、護摩を説く経典に「吉祥樹(インドボダイジュ)をもって護摩木となし、この木なければ白汁ある木をもってこれに代わるべし」とあるからです。ヌルデは枝を折ると、白色の粘っこい樹液を出します。インドボダイジュやウドンゲノキのない中国では、もっぱらヌルデを護摩木に用い、それがそのまま日本に伝えられたようです。
とはいえ昨今、インドボダイジュやウドンゲノキの代用として用いられたヌルデでさえ入手がむつかしくなってきました。それでやむなく、代用品のまた代用品として、もっぱらスギなどを使うのです。
スギでつくった乳木を護摩炉で焼いても、ちゃんと白い樹液が出てきますので、これはこれでよいと思っています。
毎日護摩の修練を積むための方便の一つとして、スギもまた許されるでしょう。
完成した護摩木小屋(収納庫)をごらんになった方のつぶやきです。
昨年、檀信徒のみなさんが、護摩木を収納しておく小屋を作ってくださいました。小屋の設計から施工まで、すべて檀信徒の手作りです。涙が出るほどうれしかったです。積み上がった護摩木を見上げるたび、終わりのない護摩修法にのぞむ勇気が奮い立ちます。
護摩木づくりに汗を流してくれる仲間とともに、すべての障りを除いてみほとけさまの智慧を得て、たとえどんな艱難にあってもそれを乗りこえていく力を養い、さとりの道を完成していきます。継続は力です。負けません。
一見無意味と思われることでも、少しずつ積み重ねてゆくことで、思わぬ価値を生み出す可能性があります。
遅々として進まぬ修行に自分をごまかさず、効率や実利に走らず、ただ毎日、護摩を焚く。この道はこれあるのみ。
なにくそ、負けてたまるかです。