金山穆韶猊下のご染筆

金山穆韶大僧正筆「南無大師遍照金剛」(部分)

母からゆずりうけた書画のなかに

近・現代における高野山真言宗の管長さまや法印さまなど、高僧方のご染筆がありました。

おさとりの境地から揮ごうされたすばらしい作品ばかりです。

折りを見て少しずつ、ご紹介させていただきます。

今回は金山穆韶猊下のご染筆です。

金山 穆韶(かなやまぼくしょう)大僧正〈1879-1958〉

明治9年10月30日 富山県上新川郡大山村に金山忠吉の二男に出生
21年 13歳で日石寺春山一覚師に入室、僧名法龍、恵宗と号す
30年 高野山へ登山増福院衆坊
32年 野沢十二流の法流を伝承、阿波太龍寺で求聞持修行(昭和4年まで)
34年 古義真言宗大学林卒業
35年    中学教諭
38年 大学教授に就任
大正 8年2月6日 兵庫県長楽寺住職をえて天徳院に晋住
9年4月 法会調査会委員
11年 座主土宜法龍師と同名のため穆韶と改名
同年 中国僧密林、純密、大勇、顕蔭等に事教二相を伝う(昭和4年に至るまで)
15年 中国仏蹟参拝
昭和 5年4月1日 碩学
9年 宝寿院門主
10年8月6日 御修法定額僧に選任される
15年 大学長に就任
18年10月 密教研究所所長に就任
19年 高野山第444世寺務検校執行法印職に昇進
20年12月24日 大僧正に昇補
28年 高野山金剛峯寺座主、高野山真言宗管長に就任
31年 退任 真別所事相講伝所和上を歴任
33年6月11日 遷化 83歳

*著書に『弘法大師の仏教観』『秘蔵宝鑰の大綱』『真言密教の教学』『弘法大師の信仰観』『大日経の綱要』等がある。昭和4・15・20年の3回、八千枚護摩修行など肉食・妻帯せず行学兼備の持戒堅固の高徳であった。徒弟に伊藤真城、五十嵐大祐、水木瑜晃師等があり、事教二相に通じ、日夜献身的な努力をされたことは永く後世に記憶されるべきである。(『高野山僧伝聞書』近・現代篇 山口耕榮著)

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目次

高野山真言宗管長 金山穆韶猊下のご染筆

見菓覚心徳(このみをみてしんどくをさとる)

金山穆韶大僧正「見菓覚心徳」
金山穆韶大僧正筆「見菓覚心徳」

宝泉寺 所蔵
紙本 132.8×32.5

弘法さまの『般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょうひけん)』にある有名なフレーズ「(蓮を観じて自浄を知り)菓を見て心徳を覚る」からとった、5字1行書。

墨で根元が固まった筆を用いて、一筆で仕上げられた作品。淡々とした中にも深みのある、枯淡な味わいが見受けられます。

「高野山管長穆韶」の落款と印が認められます。

南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)

金山穆韶大僧正「南無大師遍照金剛」
金山穆韶大僧正筆「南無大師遍照金剛」

宝泉寺 所蔵
紙本 18.1×8.1

弘法さまの御宝号「南無大師遍照金剛」8字1行書。細筆で2文字ずつ墨を含ませて揮ごうされています。

小品とはいえ、なかなかの名品です。「高野山管長穆韶」の落款に印。

徳寿(とくじゅ)

金山穆韶大僧正「徳寿」
金山穆韶大僧正筆「徳寿」

宝泉寺 所蔵
紙本 34.8×67.0

2字横物。「高野山管長穆韶」の落款に印。

安真(あんしん)

金山穆韶大僧正「安真」
金山穆韶大僧正筆「安真」

宝泉寺 所蔵
紙本 34.8×67.5

2字横物。「高野山管長穆韶」落款、印。

澄心(ちょうしん)

金山穆韶大僧正「澄心」
金山穆韶大僧正筆「澄心」

宝泉寺 所蔵
紙本 34.6×67.6

2字横物。「高野山管長穆韶」落款、印。

住職

ここにご紹介させていただいたご染筆は、金山穆韶猊下の最晩年高野山真言宗管長・金剛峯寺座主就任中(昭和28〜31年)に揮ごうされた真蹟です。御年77〜81歳の作品と推定されます。
ムダな線をはぶいた筆はこびには、良寛さま(江戸時代後期の曹洞宗高僧・歌人)の墨跡を彷彿とさせるものがあります。

ちなみに宝泉寺にも、金山穆韶大僧正の5字横物「摩利支尊天」が伝わっています。

こちらの扁額は、宝泉寺本堂に奉掲中です。

金沢 摩利支天 宝泉寺 オンマリシエイソワカ
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