摩利支天ご縁日|5/1 (祝) 午前11時から護摩と法話

高岡隆心猊下のご染筆

高岡隆心猊下筆「瑞鶴一聲報泰平」(部分)

高岡隆心猊下筆「瑞鶴一聲報泰平」(部分)

母からゆずりうけた書画のなかに

近・現代における高野山真言宗の管長さまや法印さまなど、高僧方のご染筆がありました。

おさとりの境地から揮ごうされたすばらしい作品ばかりです。

折りを見て少しずつ、ご紹介させていただきます。

今回は高岡隆心猊下のご染筆です。

高岡 隆心(たかおかりゅうしん)大僧正〈1866-1939〉

慶応 2年12月15日 新潟県中頸城郡保倉村青野 滝下清兵衛二男に出生
   明王院高岡増隆師に入門
明治23年 古義大学林卒業
  24年12月18日 明王院副住職
  同年 大学林教員となり大学長に就任まで30余年宗門教育に従事
  26年7月 4日 平等院住職
  29年8月20日 明王院堂宇再建
  30年2月28日 集議員
  同年7月13日 中学林創立委員
  同年12月16日  当山保存会設立委員
  31年6月18日 本中院谷上客坊係
  32年1月31日 権少僧正
大正元年11月1日 引摂院兼務
  2年10月1日 評議員会議員
  3年3月19日 評議員会議長 
  9年2月 高野山大420世寺務検校執行法印に昇進
昭和7年 御七日御修法定額位供僧出仕
  9年 宿老
  15年1月 古義真言宗管長に就任
  同年12月15日 遷化 77歳

*要職を歴任し、高野山の長老として、学徳兼備の高僧といわれた。

(『高野山僧伝聞書』(近・現代篇)山口耕榮著)

高野山真言宗管長 高岡隆心猊下のご染筆

瑞鶴一聲報泰平(ずいかくいっせいたいへいにほうず)

宝泉寺 所蔵
紙本 137.0×32.2

高岡隆心猊下筆「瑞鶴一聲報泰平」

高岡隆心猊下筆「瑞鶴一聲報泰平」

7字1行書。謹厳で力強い行書体でもって書かれています。

「高野山座主大僧正隆心」の落款に、印。

用筆はやや短めの兼亳筆でしょうか。

聞くところによると、高岡隆心猊下は、温厚篤実にして謙譲寛大。人に接するに、常に慈愛あふれる心遣いをなされたそうです。

 

だからこそ有能な人材や碩学が猊下に雲集し、混迷と激動の時代を的確な判断によって乗り切ることができたのだと。

 

それはひとえに、猊下の徳望であったと認識されています。

 

学問の分野における猊下については、大山公淳先生いわく「伝統的な教学を継承する最後の一人であった」と評され、「研究者というより、むしろ忠実な宗教者であるという方がふさわしい」ともいわれていたようです。(『高岡隆心和尚中院流伝授記録』大山公淳監修)

住職

母の茶室のお床に奉掲されていた書軸です。
参考 高野山高僧遺墨摩利支天

オンマリシエイソワカ