摩利支天ご縁日|12/1 (金) 午前11時から護摩と法話

関榮覚猊下のご染筆

関榮覚猊下筆「啓窓来清風(部分)

関榮覚猊下筆「啓窓来清風(部分)

関 榮覚(せきえいがく)猊下〈1877-1957〉

明治10年8月23日 新潟県南魚沼郡補佐村に出生
  22年5月11日 無量光院衆坊充可、津村教栄和尚により得度を受く

  26年12月 中学校卒業

  34年6月 連合大学林卒業

       35年12月9日 悉地院に晋住

  37年 醍醐寺執事に就職

大正2年12月 36歳で高野、醍醐開教監督としてハワイへ渡航

  8年 帰国 

  9年8月20日 高野山大学、中学監事に就任

     10月1月11日 三宝院住職、高祖院、増長院兼務

  11年5月 連合議会に当選

  12年 法務所財務部長

  14年 大師教会参事

昭和2年 金剛峯寺執行、古義真言宗特選議員
  4年 宗会議員
  5年 特任宗機顧問
     6年 高野山住職会長
  7年 耆宿、修道院監事

  14年 金剛峯寺執行長

  16年 宿老、合同真言宗宗議長 

  17年 高野山第442世寺務検校執行法印職に昇進

  20年12月24日 大僧正に昇補

  21年4月 第393世金剛峯寺座主、高野山真言宗官長に就任

  32年2月14日 遷化 81歳

 

*各派単位より連合ー古義三派ー合同ー各派単位の宗情変遷を通じて果たされた功績はすこぶる大きい

 

(『高野山僧伝聞書』(近・現代篇)山口耕榮著)

関榮覚猊下のご染筆

仏法僧(ぶっぽうそう)

宝泉寺 所蔵
紙本 33.6×101.2

関榮覚猊下筆「仏法僧」

関榮覚猊下筆「仏法僧」

「仏法僧」三字

落款「高野山管長大僧正榮覚」(印)

臥龍(がりゅう)

宝泉寺 所蔵
紙本 31.7×67.0

関榮覚猊下筆「臥龍」

関榮覚猊下筆「臥龍」

「臥龍」二字

落款「高野山管長大僧正榮覚」(印)

本来無一物(ほんらいむいちもつ)

宝泉寺 所蔵
紙本 92.4×28.0

関榮覚猊下筆「本来無一物」

関榮覚猊下筆「本来無一物」

「本来無一物」一行五字

落款「高野山管長榮覚書」(印)

南無大師遍昭金剛(なむだいしへんじょうこんごう)

宝泉寺 所蔵
紙本 67.6×17.0

関榮覚猊下筆「南無大師遍昭金剛」

関榮覚猊下筆「南無大師遍昭金剛」

「南無大師遍照金剛」一行八字

落款「高野山管長大僧正榮覚書」(印)

啓窓来清風(窓をひらけば風きたる)

宝泉寺 所蔵
紙本 67.6×17.0

 
関榮覚猊下筆「啓窓来清風」

関榮覚猊下筆「啓窓来清風」

「啓窓来清風」一行字五字

落款「高野山管長大僧正榮覚書」(印)

母の高僧遺墨コレクションで、もっとも多いのが、関榮覚猊下の墨跡です。このほかにもたくさんあって、紹介しきれません! のびやで清らかな線質がとても美しいです。

参考 高野山高僧遺墨摩利支天

オンマリシエイソワカ