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高野山真言宗 宝泉寺
通称「五本松」(ごほんまつ)
\ 宝泉寺は、ココ! /
水原 堯榮(みずはらぎょうえい)猊下〈1890-1965〉
明治23年3月21日 和歌山県那賀郡打田町に出生
35年 那賀郡池田村権現寺、藤田堯秀師徒弟となりのち親王院弘栄師に入室
44年3月 高野山大学卒業、中学教諭、親王院晋住、御影堂沙汰人
大正元年 奥之院維那(14年まで)
8年 中国、韓国巡視
昭和 4年 大師教会参事
9年 金剛峯寺執行、法会調査委員
13年3月 高野山時報主幹
22年 清浄心院に転住
25年 再び奥之院維那に就任
27年 宝寿院門主、耆宿
29年7月22日 大僧正に昇補
30年 高野山第456世寺務検校執行法印に昇進、宿老、宗機顧問
31年 無形文化財待遇者に指定
33年 第399世金剛峯寺座主、高野山管長に就任
44年9月25日 遷化 77歳
*主な著述に『高祖大師伝』『高野版の研究』『高野山金石図説』『金剛峯寺年中行事』『法談論議集』『邪教立川流の研究』ほか36篇がある。
律僧として生涯を過ごし、宗団本山の要職をつとめるかたわら、高野山の学問(高野山学)と文化面の研究殊に事相面につくされ、法儀、故実、山史、書誌学に造詣が深く多大の功績を残した。
(『高野山僧伝聞書』(近・現代篇)山口耕榮著)
宝泉寺 所蔵
紙本 35.1×67.2
「忍」の一字
落款「僧堯榮」印
大きな筆を使って、厚手の画仙紙に力いっぱい「忍」の心を表現します。
宝泉寺 所蔵
紙本 35.1×67.5
「和」一字
落款「僧尭榮」印
リズミカルで均整のととのった「和」 美しいです!
司馬遼太郎『空海の風景』のなかに、司馬さんが水原堯榮猊下に実際に会われたときの感想が述べられています。
近現代仏教史を彩った清僧の一人であることはまちがいありません。