〒920-0836 金沢市子来町57
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高野山真言宗 宝泉寺
通称「五本松」(ごほんまつ)
\ 宝泉寺は、ココ! /
真言寺院の本堂内陣には、正面の本尊さまに向かって左右の壁面に、8人のお坊さんの画像がかかっていることがあります。これら8人は、真言密教の教えを順次伝えひろめたお祖師さまです。「八祖大師」といわれています。
はるかに想いを弘法大師の入唐にはせ、八祖大師の伝歴をたずね、密教相伝の流れをふりかえってみたいと思います。
八祖大師の一番のもとが京都の東寺の灌頂堂に現存します。弘法大師が中国から持ち帰って祖師の画像を中心に、足りないものを日本で補ったもの。それらがのち、真言祖師として真言宗のお寺の伝統になったといわれています。
真言祖師(しんごんそし)
真言宗では付法の真言八祖と伝持の八祖の二種の系統をたてるが、大日如来と金剛薩埵の代わりに善無畏、一行を加えた伝持の八祖を普通「真言の八祖」としてあらわす。即ち龍猛(りゅうみょう)・龍智(りゅうち)・金剛智(こんごうち)・不空(ふくう)・善無畏(ぜんむい)・一行(いちぎょう)・恵果(けいか)・弘法(こうぼう)である。(佐和隆研編『仏像図典』より)
ちなみに灌頂堂というのは、弟子に灌頂を授けるお堂のことです。灌頂堂におまつりされた八祖大師を拝すれば、仏教の法が八祖大師を経て灌頂を授ける祖師に伝わって、いま灌頂を受けるあなたにも仏法が伝えられるのだ、とわかる構成になっています。灌頂とは、密教で人々を教え導くことのできる阿闍梨(あじやり)の位にのぼることを認める儀式をいいます。
いうなれば、真言密教の命脈を祖師から弟子へ、また次代へ永久に伝える儀式。それが灌頂です。
付法の八祖 ①大日如来→②金剛薩埵→③龍猛→④龍智→⑤金剛智→⑥不空→⑦恵果→⑧弘法
伝持の八祖 ①龍猛→②龍智→③金剛智→④不空→⑤善無畏→⑥一行→⑦恵果→⑧弘法
付法八祖は、密教の教えを師から弟子へ、弟子から孫弟子へと、直接的に付法相承(そうじょう)、以心伝心というカタチで伝えた系譜をたどるものです。
①大日如来(だいにちにょらい)→②金剛薩埵(こんごうさった)→③龍猛(りゅうみょう)→④龍智(りゅうち)→⑤金剛智(こんごうち)→⑥不空(ふくう)→⑦恵果(けいか)→⑧弘法大師(こうぼう)と付法相承した八祖を「付法(ふほう)の八祖」と呼んでいます。
大日如来と金剛薩埵は、信仰上のお祖師さま。龍猛以下の六祖は、歴史的人物。そのうち龍猛、龍智はインドの密教相承者。
金剛智はインド人で中国に来て密教教典を訳出し、密教を伝えた人です。
不空は中国で成長して金剛智の弟子となり、金剛智没後、インド(セイロン)に留学して密教を学び、多くの密教教軌を中国にもたらして訳出。密教をひろめ、中国に密教という一宗を創設した人。
恵果は不空の高弟、中国密教に弘通につとめ、その恵果から密教を相承して、日本に伝え、真言宗を開創した人が弘法大師です。
一方、付法のように直接伝わらないが、伝持といって密教を伝えた人という意味で8人いらっしゃいます。
龍猛・龍智・金剛智・不空に、善無畏(ぜんむい)・一行(いちぎょう)を加えます。
善無畏はインドの人。中国へ来て『大日経』を翻訳し、一行は『大日経疏』という注釈書を著作した人です。
この6人に、恵果と弘法大師を加えて、これを「伝持(でんじ)の八祖」といいます。
①龍猛→②龍智→③金剛智→④不空→⑤善無畏→⑥一行→⑦恵果→⑧弘法大師ですね。
密教の祖師伝説については、松長有慶先生が『密教の神話と伝説』のなかでわかりやすく解説してくださっています。
密教のあらましを知るには、勝又俊教先生の『密教入門』! スラスラ読めますよ。
名著『密教入門』の改題新版がコレ。
現在の真言宗のお寺に受けつがれ、ご本尊を中心にして、両側に4人ずつ祖師がおまつりされている「伝持の八祖」について、もう少しくわしくみていきます。
これら真言祖師の付法を知るには、弘法大師みずからお書きになった『秘密曼荼羅教付法伝(広付法伝)』と『真言付法伝(略付法伝)』が欠かせません。現代語訳でよむには、『弘法大師空海全集』が便利です。
もっともっと知りたい方は、こちら!
各師の持ち物や手指のカタチ、侍者の有無を見れば、サッと見分けがつきますね。
宝泉寺には、真言八祖が一堂に会する仏画が伝存します。
画面中央に宝塔が大きく配され、パッと扉が開き放たれたところに、愛染明王が鎮座するという斬新な構図です。宝塔のすぐそばに、右肩をあらわにした高僧が三鈷杵をもって立っています。下方では、あるものを囲んで車座に座る八祖大師の姿があります。
本図は、毎年六月中のみ奉祀する秘仏(掛け軸)です。
本図にあらわされた真言八祖は、どのようなものでしょうか。
宝泉寺に伝来する本図は、南天の鉄塔において金剛薩埵(愛染明王)より龍猛菩薩菩薩へと密教が伝授され、密教の秘奥の真髄が真言八祖へと脈々と伝えられていくシーンが描かれています。密教事相では、愛染明王と金剛薩埵を同体と習います。
弘法大師の『広付法伝』によると、龍猛は南インドの鉄塔の中に入って、親しく金剛薩埵から灌頂を授かり、秘密にして最上なる曼荼羅の教え(密教)を受けて記憶し、現世に伝えひろめたとあります。
ついにすなわち南天鉄塔に入って、親(まのあた)り金剛薩埵に灌頂を授けられて、この秘密最上曼荼羅教を誦持して人間(じんかん)に流伝す。
弘法大師『広付法伝』龍猛(『弘法大師 空海全集』第二巻)
本図は、南天鉄塔における金剛薩埵(愛染明王)から灌頂を受ける龍猛菩薩からはじまる密教相伝を時空を超えて俯瞰する構図となっているようです。以下、龍猛菩薩から真言祖師への密教相伝を見てゆきましょう。
南天鉄塔をイメージする宝塔の扉が開くと、愛染明王(金剛薩埵)が姿をあらわす。
右肩をあらわにして、三鈷杵を持って立つ。
お袈裟を通肩に着け、衣の端を左手で握って、右手に経典を持っている。
お袈裟を通肩に着け、左手で衣の端を握り、右手は数珠をとる。
法服を着け、両手を胸前において両手をかたく結んでいる。
お袈裟を偏袒右肩に着け、右手の人差し指を立て、左手は衣の端を握る。
法服を着け、両手を衣の中に入れて、かたく結んでいる。
法服を着け、両手を腹前に置いて座る。背後に童子がはべっている。
右手に金剛杵、左手に念珠を持つ。
本図にみる八祖大師の図像もまた、東寺灌頂院の祖師像の流れを汲む像容です。真言八祖と考えて間違いないでしょう。
本図には、大日如来は別として、金剛薩埵(愛染明王)から弘法大師まで、真言祖師が勢ぞろいしているところを見ると、付法の八祖」と「伝持の八祖」の両系統を統合して、一枚の仏画にギュッと凝縮したものであることがわかります。
拝むものをして、時空間を越え、行者の心に迫ってくるものがありますね。
仏画に描かれているのは、真言八祖に限りません。もう一人お坊さんが描かれていますよ。
弘法大師と対面する位置に、右手に金剛杵を持つ人が座っていますね。
はて、どなたでしょうか?
金剛杵をとる姿は、弘法大師の高弟野一人、実慧大徳の特徴をあらわしているようです。
実慧大徳でしょうか。
法は人によって、はじめて伝わるもの。
ゆえに阿闍梨の眼は、遠い将来にわたる密教相伝にそそがざるをえません。
本図にあらわされた師資相承による法燈の伝授を垣間見ることで、歴代祖師が弟子への伝法をいかに重視してきたかを伺い知ることができました。
真言密教は、大日如来からはじまる教えが多くの素性正しい堅固な弟子たちによって広められ、絶えることなく流伝し、今なお正確に護持、伝授されるに至っています。
灌頂の儀礼を介して、阿闍梨から弟子へと仏法の魂が、脈々として法の命を伝えてゆくかぎり、密教の法燈は永遠です。
金沢のちっぽけな真言寺院に、
スゴイ霊宝が伝来してるんだな..