毎月一日は、摩利支天のご縁日です。護摩と法話があります。

マンガ備忘録|おかざき真里 『阿・吽』 11巻・12巻

おかざき真里著『阿・吽』12 小学館 監修・協力 阿吽社

おかざき真里著『阿・吽』11巻・12巻、これまたすばらしい!

最澄と空海。言葉を超えた二人の関係性が見事なタッチで描かれています。

読み終えた直後、走り書きメモ残しておきます。

ざっくり読む(目次)

備忘録|おかざき真里 著『阿・吽』11巻

おかざき真里著『阿・吽』11 小学館 監修・協力 阿吽社
おかざき真里著『阿・吽』11 小学館 監修・協力 阿吽社

〈11巻〉 強烈に惹かれ合う、最澄と空海…  密教の灌頂式を受けるため空海の元を訪れた最澄は言う「自分を弟子にしてほしい」と… 一方、坂上田村麻呂の死の裏には藤原冬嗣の影がちらつく… 理想と現実の狭間で巨人達がぶつかり合う

60話 四賢臣(しけんしん)

藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)邸に「四賢臣」と呼ばれる良岑安世(よしみねのやすよ)・藤原三守(ふじわらのみんもり)・伴国道(とものくにみち)・藤原冬嗣が集い、国の将来を語り合った。

夜、坂上田村麻呂の亡霊が現れ、冬嗣と言葉を交わす。

61話 弟子

かつて最澄が乙訓寺の空海を訪ねたとき、生来の性格上、丁寧な態度で接し、腰を低くして教えを乞うた。6年前に奈良の諸大寺の長老を集めて灌頂を施した同じ僧とは思えない最澄の態度に驚く空海。

そして最澄が言った「私に灌頂を施してもらえないか」と。かつて自分が導師をつとめた灌頂の儀式を、今度は自分が受けたいというのである。最澄の態度に感動した空海は了承し、最澄に灌頂の儀式を高雄山寺で開くことを約束する。そして別れ際にこんな言葉を最澄に言った。

「私は今年で40歳になり、寿命もそろそろ尽きようとしています」

最澄は驚いた。年下である空海が死ぬかもしれないというのである。

「どこにも行きたくないのです」といい、「だから私が学んだ密教のすべてをあなたに譲りましょう」と。

最澄は驚くとともに、歓喜したに違いない。

最澄にすべてを授けようとする空海。それを受け尽くそうとする最澄。

同じ無限をもうひとつつくる!

(ところが実際には、最澄は50代半ばで早死にし、空海は最澄より10年も長く生きるのである)

空海から灌頂を許可されることになった最澄は大喜びで、さっそく灌頂の準備にかかった。灌頂に必要な法具や食料等はすべて受者が用意する原則である。以前に最澄が奈良の僧侶たちに灌頂したときには、国費を使うよう桓武天皇の計らいがあった。しかしすでに、桓武天皇は崩御されており、このたび最澄は自費で整えなければならなかった。

62話 金剛界結縁灌頂(こんごうかいけちえんかんじょう)

弘仁三年(812)11月15日、高雄山寺にて金剛界結縁灌頂。空海は、灌頂の費用を援助した和気真綱(わけのまつな)ら三人とともに、最澄に金剛界の灌頂を行った。

最澄の投花は、マンダラの金剛因菩薩の上に落ちた。

63話 降雪

同じ道を行くかに見えた空海と最澄。

自分が死ぬまでに、天台の僧侶最澄に密教のすべてを伝えようと思っていた空海。かたや早く密教を修得して、比叡山に帰って、天台立宗という仕事を全うしようとする最澄。

最澄が振り向いたとき、そこには空海の姿がなかった…

おかざき真里著『阿・吽』11 小学館 監修・協力 阿吽社

64話 胎蔵界結縁灌頂(たいぞうかいけちえんかんじょう)

弘仁三年(812)12月14日、高雄山寺にて胎蔵界結縁灌頂。現存している受者名簿(『灌頂暦名』)を見ると百人を超す受者の中には、子供が45人も… 最澄は驚いた。

この胎蔵界結縁灌頂では、最澄の投花は宝幢如来の上に落ちた。


* 次号が発刊されたら、このあとを書き足していこうと思っています。

2020年3月12日発行
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備忘録|おかざき真里 著『阿・吽』12巻

〈12巻〉 平安 嵯峨天皇の御代 最澄は空海の密教をどん欲に学ぼうとするが… 法の真実を追究する二人に 権力者・藤原冬嗣が絡み 状況は思わぬ方向に

65話 藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)

藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)は、平安初期の政治家。右大臣内麻呂(うちまろ)の二男。後の嵯峨天皇が皇太弟となったとき春宮大進、春宮亮となり信任厚く、天皇即位後は昇進が著しかった。

66話 さんどう

最澄は空海に「ぜひ『伝法灌頂』を授けてほしい。灌頂を受けるには何ヶ月必要ですか」と尋ねた。空海は「三年の修行を終えた後です。」と答えた。それを聞いて最澄は驚いた。というのは、「もともと一夏で終わると思っていたからである。なぜ三年間の修行が必要なのかと考えれば、空海とすれば入唐前に大日経などの密教教典を学んだ二年間。長安で般若三蔵に梵字を学んだ半年を思えば、少なくとも三年はかかるはず。」と見当をつけたか?  それも天才的知能の持ち主で、空海だからこそ出来た話。

最澄は、「数年もかかるのであれば、一度比叡山の寺に帰って、後日出直してきて学ぶとしよう」と言い残して高雄山寺を去る。そこで、最澄は自分の弟子の中でも最も優秀なものを残していくことを申し出て、空海も了解したのである。泰範という最澄の一番弟子を残し、空海から密教を学び終えた後、比叡山に帰って遮那業(しゃなごう=密教学専門の学科)の教授となってくれることを望んだが..

67話 宮中金光明会(きゅうちゅうこんこうみょうえ)

勤操(ごんぞう)は、弘仁四年(813)に抜擢を受け、律師の位に昇られている。嵯峨天皇は勤操を屈請されて、宮中の大で極殿において『金光明最勝王経』を講演する法会を開かせられた。講演を終えられた日に、さらに嵯峨天皇は、紫宸殿において諸宗派の高僧を集め、教理の論議をさせ、勤操を歎賞したまう。勧賞として嵯峨天皇は、即座に勤操を小僧都に任じられ、兼ねて造東寺別当に下命せられた。

「宮中金光明会」は、一月八日が内裏の清涼殿で行われ、七日間にかけて国の安泰を祈った国家行事。67話では、昼の部論説、講義を執り行うのは勤操。そして夜の部の護持僧を最澄が勤め、大いに験をあらわす。

地の底から、何度も何度もたちあらわれる怨霊たちを追い払うことなく、「おいで」と手をさしのべ、自らのからだにまといつかせる最澄。そのまま手を合わせ、読経。例のごとく経文が躍り出て、すべてをつつみこんで浄化。まさに、おかざき先生にしか描けないシーンだ。すごい!

68話 興福寺南円堂(こうふくじなんえんどう)

同年(813)三月、高雄山寺にて円澄・光定・泰範など、最澄の十七人の弟子が空海から金剛界の灌頂を受けた。昨年から引き続いて、これら一連の灌頂を行ったことで、空海は日本密教の中心的存在となったばかりでなく、弟子たちを指導し、教団を組織する機会を得る。

奈良、興福寺は藤原氏の氏寺として権威をふるった。藤原内麻呂の菩提を弔う南円堂の建築を空海に依頼される。空海は唐で学んだ最新の叡知をつめこんで落成す。

69話 相撲節会(すもうせちえ)

ここで、お相撲を持ってこられるところは、流石。

待ってました!!  相撲の神事に、キュートな「にうつ様」あらわる。
こんなとこ、好き。


* 次号が発刊されたら、このあとを書き足していこうと思っています。

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