マンガ備忘録|おかざき真里 『阿・吽』 13巻

おかざき真里著『阿・吽』13 小学館 監修・協力 阿吽社
画像出典:おかざき真里著『阿・吽』13 小学館 監修・協力 阿吽社

最澄は、比叡山をかかえて多忙をきわめ、密教の受法だけに時間を費やすことができません。そこで弟子の泰澄を空海につかわして密教を学ばせ、最澄は経典を借覧し、書写することで学びながら、天台の教学を打ち立てようとつとめられたようです。

もちろん最澄は、直接空海に面会して教えを受ける機会が少ない事を充分承知。何通かの書状の中でくりかえしわびておられます。

最澄が筆授を初めて5年目。空海のもとにとどまった泰範も4年が過ぎ、密教を座学で学ぶという限界を知っています。ましてや学問としての密教では得られない大切なことは、正しく修法してこそ得られるということも..

目次

備忘録|おかざき真里 著『阿・吽』13巻

〈13巻〉 多くの人を魅了する空海。最澄の「信頼」していた弟子・泰範さえも 天台法華を追究する最澄。東北で法相宗の徳一と再会を果たすが…

70話 神泉苑(しんせんえん)雨乞対決

824(弘仁15)年2月、都に長い間雨が降らない。ついに嵯峨天皇から代わった淳和天皇の勅命が下り、空海と西寺(さいじ)の守敏(しゅびん)との呪術対決というかたちで雨乞いが行われることになった。

翌年6月、空海は嵯峨天皇に高野山を密教修行の道場建設のため下賜を願う上表文を書き、7月8日には早々に勅許が下る。

71話 筑紫國(つくしのくに)巡行

最澄の筑紫國巡行は、経典を筆授したお礼だといわれている。また布教の旅だったとか。

72話 会津の徳一(とくいつ)

815年(弘仁6)、空海は弟子を徳一につかわして、写経を依頼している。

空海は手紙に妙香をそえて、

徳一菩薩は、戒珠玉のごとく。智慧の深く澄んださまは大海のごときお方。
修行のために都を離れ、東国に行かれました。
ああ、徳一様の仏の慈悲深い月のような御心は人の心の水に影を映す。
徳一様の教えのちからはこぼれること無し。
尊いことです。尊いことです。

と、称賛した。

73話 徳一(とくいつ)菩薩

空海から密教を学び取ることに苦慮する最澄であったが、このときはじまった最澄と法相宗の学僧徳一の論争は、死後も続くほど激しかったという。

74話 比叡山澄法師、理趣釈経(ひえいざんちょうほうし、りしゅしゃくきょう)を求むるに答する書


最澄のすすめによって空海のもとで高雄の灌頂を受け、続いて密教を学び、ついには空海の弟子になってしまう泰範。

816年(弘仁7)5月1日、最澄は泰範に宛てて手紙を送り、いっしょに天台宗を弘めようとすすめた。

私(最澄)も五十歳を迎え、これからそれほど長く生きられるものではない、あなた(泰範)が天台宗の年分度者になっていながら、本願に背いて、密教に傾倒していることはまことに残念である。劣った教えを捨てて勝れた教えをとるのなら理にかなっている法華一乗(天台)と真言一乗とは優劣が無いではないかと述べ、来春から私といっしょに日本を遍歴して、世間の譏誉(きよ=そしりやほめられること)を省みず正法の弘法に励もうではないか、

と結ぶ。

しかし、顕教としての法華宗と真言密教とが両方とも究極の教えであって優劣は無い、という立場は、空海の密教を学んでいる泰範にとっては考えられないことであった。そこで空海は泰範に代わって、先の書状に対する返事を書いた。

年分度者(ねんぶんどしゃ)
平安時代、仏教各宗で毎年一定の人数を限り許された得度(とくど)者。試験によって選び、所定の教義を修学させた。(『大辞泉』)

まりちゃん

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