毎月一日は、摩利支天のご縁日です。護摩と法話があります。

マンガ備忘録|おかざき真里 『阿・吽』 9巻・10巻

おかざき真里著『阿・吽』10 小学館 監修・協力 阿吽社

〈最新刊〉おかざき真里著『阿・吽』9巻と10巻拝読。すばらしい!感動です。 

これまで同様、筆者の心を打ったシーンが華麗なタッチで描き出されています。

新しい空海伝〈マンガ〉です。ぜひお読みになってみてくださいね。

引き続き、読書メモです。

ざっくり読む(目次)

備忘録|おかざき真里 著『阿・吽』9巻

おかざき真里著『阿・吽』9 小学館 監修・協力 阿吽社
おかざき真里著『阿・吽』9 小学館 監修・協力 阿吽社

〈9巻〉 桓武天皇崩御後、暗雲立ち込める朝廷。そして平城天皇が退位、嵯峨天皇の御世となる。そんな中、空海は嵯峨帝と歴史的な出会いを果たす。一方最澄の状況は、ますます厳しいものに…

48話 橘嘉智子(たちばなのかちこ)

第52代嵯峨天皇の皇后。世に類がない麗人であったという。

マンガでは描かれていないが、橘嘉智子は仏教に深く帰依したという。

仏教が説く「諸行無常」の真理を自らの身をもって示して人々の心に菩提心を呼び起こすため、死に臨んで、自らの遺体を埋葬せず路傍に放置せよと遺言。

街角で遺体が腐乱し、白骨化していく様子を人々に示したといわれている。

49話 味方

809年(大同4)、神野親王(かみのしんのう)が即位し、嵯峨天皇となる。皇太子は高岳(たかおか)親王(のちに空海の弟子となる)。

朝廷に献上する屏風の文字を空海が選び、自ら書く。屏風には、『世説新語』から「七歩の才」と「禅譲」の語句を書いた。

「七歩の才(しちほのさい)」とは、中国魏の曹植(そうしょく)が、兄の曹丕(そうひ)の命令で兄が七歩あるく間に、兄弟の不仲を嘆く詩を作ったという故事による。

「禅譲(ぜんじょう)」は、天子がその位を世襲としないで、有徳の人にゆずること。

50話 波の音

比叡山から得度者が出たのは、4年ぶりであった。

そして念願であった天台法華宗初の年分度者(ねんぶんどしゃ)4名が合格。

最澄、悲願の後継者育成に光が見えたかに思えたが… 年分度者合格者4名が山を下り、南都仏教の門下となる。

51話 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)

810年(大同5)、平城上皇と嵯峨天皇とが対立。平城上皇の動きを知った嵯峨天皇は坂上田村麻呂に上皇の東向阻止を命じる。

坂上田村麻呂は、出発に当たって、かつて蝦夷征討の戦友だった綿麻呂(ふんやのわたまろ)の禁錮を解くことを願い、綿麻呂は許されて、参議に任じられる。

藤原薬子(ふじわらのくすこ)は官位を剥奪され、仲成は射殺されてしまう。いわゆる「薬子の変」である。

52話 風信帖

風信帖とは、空海が最澄の消息にこたえた書状をいう。

文面は、冒頭の挨拶・『摩訶止観』のお礼・比叡山には行けない旨を告げたあと、

「あなた(最澄)と堅慧(?)と私(空海)の3人が集まって、仏教の根本問題を語り合い、仏教活動を盛んにして仏恩に報いたい。

どうか労をいとわず、この院(乙訓寺?)まで降りて来て下さい。ぜひぜひお願いする。」

という趣旨の内容である。実物が現存する。国宝、弘法大師筆、京都東寺所蔵。

53話 近江海の光(おうみのみのひかり)

華々しい活躍をとげる空海。

一方、最澄の状況は、ますます厳しいものとなる。

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備忘録|おかざき真里 著『阿・吽』10巻

〈10巻〉 東大寺別当となり、南都の間でもその力が認められる空海。後継者にと目をかけていた泰範が比叡山を降りてしまい、失意のどん底に落ちる最澄。しかし二人の心はより強く惹かれあい、最澄は空海の待つ乙訓寺へ…

54話 東大寺別当(とうだいじべっとう)

『高野大師行状絵詞』など、弘法大師の伝記絵巻でみた「大きなハチ」がいきなり登場。東大寺にハチがでて、僧侶を刺し殺したそうな。蜂をおそれた僧侶が寺を去り困っていたところに、空海が東大寺の別当になる。弘仁元年(810)、御年37歳。

たちまちハチが退散し、東大寺はもとの隆盛を取り戻すという話。大きくて凶暴なハチは最澄ら新興勢力の暗示か。

空海は言葉を発せず、黙をもって絶対真実を開示する。

55話 裏泰範(うらたいはん)

泰範は若い頃から得度して官僧(官から度牒を得て公に出家した僧)となっていた。学識もあり、僧としての品格も備えていたという。最澄はその資質を見抜いて、自分の跡継ぎとして育てていたようだ。

最澄が常々唱えていたことは、仏教はお釈迦さまの言葉に立ち返るべきであり、釈尊のことばが書かれた経典である法華経を中心にした天台宗が最良であると。泰範はそれに共鳴して弟子入りをしたのかもしれない。

弘仁二年(811)8月1日、比叡山で法華経についての重要な講義が開かれ、泰範は主催者側の立場にあった。

しかし突然、その職を辞任するという断りの手紙を最澄に送ってきた。

56話 ふたりの姫

空海、にうつ様と美貌の橘嘉智子(檀林皇后)に法を説く。美しい!

57話 御遺言(ごゆいごう)

弘仁三年(812)5月8日、最澄は泰範の心中の変化に気づかないままに、生前の遺言書を公開。泰範を天台宗の跡継ぎにすると公言した。

ところが、その翌月の6月28日、泰範は最澄に「つつしんで暇をください」と手紙を書き送っている。絶縁状ともいえる手紙であった。

58話 犀の角(さいのつの)

「犀の角のようにただ独り歩め」

仏教では「悩みの原因となる対人関係から距離をとる」という意味での孤独をすすめるとともに、「優れた友との交流」を勧める。

一見して矛盾するように思われるが、そのねらいは真に独立した人格を形成するためにはどちらも必要だということだ。

「彼(か)とともに歩め」

59話 乙訓寺の一夜(おとくにでらのいちや)

空海が住職をつとめる乙訓寺をたずねた最澄は、空海に対して、丁寧な態度で腰を低くして教えを乞うた。

乙訓寺といえば、かつて冤罪によって早良(さわら)親王が幽閉されたのち、淡路島に遠島の途中非業に死を遂げた寺として知られている。

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