泉鏡花と五本松

泉鏡花と五本松

金沢が生んだ文豪、泉鏡花の作品に宝泉寺のご神木「五本松」が登場します。

泉鏡花の作品に書かれた「五本松」泉鏡花の作品
「魔所の名高き五本松、宇宙に朦朧と姿を顕じて(あらわして)梢に叫ぶ天狗風、川の流れと相應じて、音無き夜に物寂し」明治28年1月『春夏秋冬』に発表した「聾の一心」は、彫金師の父、清次(号政光)の死を扱ったものです。その中の一節。
短編『五本松』のあらすじ

秋の夜更け、血気盛んな若者三人が天神山に登り、夜中の騒がしさを嫌う魔神のすみか「五本松」前で、放歌高吟して帰る。するとそのたたりか、若者の一人は朝まで騒ぐ修羅の足音で眠れず、手足を血まみれにした仲間の一人が戸をたたく幻を見る。その下宿へ駆けつけてみると、案の定、両手は黒ずんだ赤色にまみれており、二人は顔を見合わせる。窓を開けば、五本松の梢が向こうの物干しの陰からほっかりと見えるが、それを見るにつけ、何かはばかるところがあってその二三日は垂れこめていた。それだけで無事であった。
明治31年発表の『五本松』 (『鏡花全集』 全29巻のうち巻4・岩波書店 )または(『鏡花全集』 全15巻のうち巻3・春陽堂)収載されています。
「背後の丘に名も高き、天狗ばやしと思ふあたりに、物凄まじき響があると、火縄は柱から障子を伝ひ、壁を擦って、きりきりと矢の如く、又た蜘蛛の巣を投げるやう、目ばたきをするより疾く、室の周囲をぐるぐるぐる」明治34年1月『明星』に発表した「斧の舞」のストーりーは、大工の棟梁・甚蔵が、五本松の近くに建てた長者の別荘に、魔物が現れて別荘をゆさぶるので、退治してほしいと頼まれ、斧をふるって撃退するというものです。その光景が鮮烈に描かれています。
「五本の枝はづれに、城下の町は、川も、橋も、城も、森も、天守の櫓も、處々に薄霞した一枚の繪雙六の風情である」大正6年発表の『町雙六』は、鏡花が久しぶりに東京から帰省し、従兄妹とともに子来坂から、卯辰山の頂上近くにある両親の墓参にいった事を書いたもの。五本松からの眺望の風情を書いています。
【泉鏡花について】

泉鏡花は1873年、金沢市に生まれました。幼少期を金沢で過ごした鏡花は終生、故郷と母とを哀惜し、折に触れて作品に登場します。しかし、母は出産後の産褥熱のため鏡花が10歳のとき死亡。鏡花は強い衝撃を受けます。16歳の時、友人宅で読んだ尾崎紅葉の「二人比丘尼 色懺悔」を読んで感激し文学を志すようになり、18歳のとき、東京の牛込の紅葉宅を訪ね入門を志願します。こうして、鏡花は紅葉宅での書生生活を始めます。紅葉の薫陶を受けながら鏡花は次第に実力をつけていきます。中でも、1900年に発表した「高野聖」のすぐれた幻想性は目を見張るものがあります。この他にも、「照葉狂言」、「婦系図」、「歌行燈」などの傑作を世に送り出しました。 江戸文芸の影響を深く受けた怪奇趣味と幻想性は、現代でも高く評価されています。特に幽玄華麗な独特の文体と巧緻を尽くした作風は、川端康成、石川淳、三島由紀夫らに影響を与えました。「五本松」は、明治31年12月号『太陽』巻第6巻第2号に初めて収録されました。
オンマリシエイソワカ
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