摩利支天の功徳

摩利支天の功徳

大般若経の唐櫃に身を隠す大塔宮護良親王
大般若経の唐櫃に身を隠す大塔宮護良親王

元弘の乱後、征夷大将軍として活躍した大塔宮護良親王(後醍醐天皇の皇子)は、やがて足利尊氏と対立し、追われて熊野へ逃げる途中、奈良の般若寺に立ち寄りました。そこへ足利方についた一乗院の好専が、百余騎の軍勢を率いて寺内の探索にきました。

身の危険を感じた大塔宮は、仏殿に入り、フタが開いていた『大般若経』 の唐櫃に潜り込み、摩利支天の印言を結誦し身を隠します。

追っ手の兵たちは、フタの閉じてある方の唐櫃を点検し、「大般若の櫃も中をよくよく捜したれば、大塔宮は居らせ給はで、大唐の玄奘三蔵こそおはしけれ」と言って引き上げて行きました。まさに護良親王の命拾いは、摩利支天尊の隠形の加護によるものです。

勝負所で見えない功徳

勝負所で見えない功徳
勝負所で見えない功徳

政治家なら選挙、営業マンなら大きな契約、病人なら手術、学生なら試験合格、入社。人生には「ここ一番」と言える場面がいくつか待ち受けている。

金沢城の「鬼門」を守る金沢市子来町の真言宗宝泉寺は、こうした勝負所で、誰にも悟られずに目的を達成する「穏形」という功徳を持つ摩利支天を本尊としている。

高さ5センチほどの秘仏であり、加賀藩祖、前田利家が末森城の戦いなどで、自身のかぶとの中にしのばせて出陣したとも伝わる。

辻雅榮住職は「今でいうリスクマネジメント、危機管理の神様でしょうね」と話す。辻住職は「摩利支天陀羅尼呪経」を見せてくれた。いわく、摩利支天は誰も見ることができず、つかまえることもできない。人にだまされることも、人に縛られることもない―。

「見えない」功徳は、摩利支天に帰依する人に及ぶと説いている。「勝守」というお守りを取り扱っており、「ここ一番」での勝利を願う人々が求めていく。

辻住職は「摩利支天に守られということは、拝まれる人になるということ。自信を持って歩んでほしい」と話す。北陸鉄道、JR西日本バス「橋場町」から徒歩10分。

(北國新聞2010年5月25日)

オンマリシエイソワカ
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