摩利支天の信仰

摩利支天の信仰

摩利支天は、悪世において危難の中に苦しむ衆生を、大慈悲心をもって擁護し、安楽ならしめるために出現されたのであり、その功徳は「隠形」(おんぎょう)を第一とします。

摩利支天を念ずれば、その人は他人から見られ知られることなく、捉え害されることなく、だまし罰せられることなく、自らの希求するところをすみやかに成就できると言われています。

古くからインドの庶民の間で崇拝され、仏教に取入れられてからも護法神として、あるいは大慈悲心をもって衆生を擁護する神として信仰され、やがてその造像をみるに至った摩利支天は、中国に伝えられると唐代頃には経典の漢訳や尊像の造立が始められ、護身の神としての信仰が盛んになっていきます。

唐の代宗の頃(762-779)、不空三蔵は帝の宝詐延長のために摩利支天像を刻み、玄宗皇帝が初めて灌頂壇に入る時に受けたのも、この摩利支天法であったと言います。 南宋の高宗建炎元年(1127)、隆裕大后孟氏はこの天を念じて身の安全を得ましたし、唐州泌陽尉李珪は北虜の入冠に遭い、この天の名号護持してその難をまぬがれています。

わが国においては、平安時代に唐へ留学した密教僧の手によって多くの摩利支天に関する経典や図像が請来され、この天を本尊として、護身・隠身・遠行・得財・諍論勝利・必勝開運などを祈る摩利支天法が修されています。 中世以後は特に武士の間で摩利支天が信仰されており、武士が戦場に臨む時や武術の試合などを行う前には、摩利支天に祈り、その加護によって必勝を期したと言われます。前田家や毛利家があまりにも有名です。

このように摩利支天の加護を得て勝利をおさめた者は、終生摩利支天尊への帰依を誓い、厚く信仰したとされます。

オンマリシエイソワカ
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