毎月1日午前11時から護摩と法話があります。

摩利支天のかたち

摩利支天のかたち

摩利支天には、種々の形像がありますが、二臂(ひ=手の数)、六臂と八臂像に大別することができます。

二臂像については、『摩利支天経』に、そのお姿が説かれ、持物の天扇は摩利支天の徳である「隠れる」ということを象徴しています。

六臂像と八臂像については、宋代の天息災によって全訳をみた『大摩里支菩薩経』にその像容が説かれています。

まりちゃん

三面八臂像のイラストをカリンに頼んだら、「顔が三つもあると、かわいく描けない」ということで、一面八臂像になりました。新しい図像の誕生です!

摩利支天の獸座

摩利支天の乗り物としてイノシシがよく知られます。

摩利支天の獸座「イノシシ」

摩利支天の獸座「イノシシ」

 

摩利支天の持物の中でも、一風変わったものとして「針」と「糸」が有名です。持物に針と線とを執ることは仏像の持物としては非常に珍しく、この針と糸で悪人の口や眼を縫ってしまいます。

インドにおける摩利支天像は、ナーランダに10世紀頃の密教像が伝存。三面六臂の浮彫像です。また三面六臂でイノシシに乗る形は、チベットにも作例があります。

 

 中国における摩利支天

中国においては、唐代頃から摩支利天信仰が始まり、『摩利支天経』の漢訳者である不空三蔵が摩利支天像を刻み、それに大仏頂陀羅尼を書き添えて王子のために守護神としたことが『表制集』にみえます。

残された作例としては、五代頃の敦煌出土の紙本画が、大英博物館とギメ美術館とに伝存しています。いずれも唐代の盛装であった「天女の姿」をとる二臂像で、天扇を手に執る姿です。

太陽を背にして描かれていることは、摩利支天は陽炎にして、常に日前を行くとされていることを表わすものです。

わが国における摩利支天

わが国では、奈良時代に不空訳の『摩利支天経』は請来されていますが、その造像例を確かめることはできません。平安時代には、入唐八家達によって同経典や陀羅尼が盛んにもたらされ、諸図像集中には唐代の服制をした摩利支天図が数多く収載されています。彫像や絹本着色の本尊像の遺品はほとんどありません。

近世になると、武人達の信仰を背景に、イノシシの背に立つ摩利支天の画像や版画が多くみられます。時代が下がるにつれ、いさましい姿の摩利支天が多くなるようです。

7という数字がもつ意味

太陽神マーリーチー(摩利支天)は、陽炎を神格化した女尊。その起源は、ヒンドゥー教の太陽神(スーリヤ)に関係があります。図像的にも類似し、スーリヤが7頭立ての馬車に乗るのに対して、マーリーチーは、7匹の猪が引く車に乗るという特徴を持っています。

ほかにも7頭の獅子に乗るみほとけに大日如来(ヴィローチャナ)があり、火天(アグニ)の乗る車も7枚の舌をもった馬が引くそうです。これらからもわかるように、7という数字は太陽をめぐる神々のキーナンバーであることがわかります。

7という数字は、すなわち完全性や秩序、さらには「ここからの超越を示す存在」です。たとえば『旧約聖書』の「創世記」において、神は世界を7日で創造したとされ、釈尊は誕生の直後に北に向かって7歩進み、「天上天下唯我独尊」と獅子吼されたと伝えられています。7歩の歩みは、「超越的な存在への移行」をあらわしています。

 

オンマリシエイソワカ