護摩の起源

護摩の起源

護摩は、サンスクリット語「ホーマ(homa)」の音写で、供物を火中に投げ入れて祈願する「焼施」を意味します。

炎の祭式

その宗教儀礼は、火の祭式で、インドでは紀元前十二世紀頃に成立したといわれる『リグ・ヴェーダ』(バラモン教最古の聖典)の当時から、現在に至るまで広く行われており、またチベットにおいてもみることができます。

インドのバラモン教の炎の祭式が密教に取り入れられた儀礼、それが護摩法です。 火炉に護摩木を積んで燃やし、火中に五穀、五香などを投じ、香油を注いで供養することによって、願主の願い事を達成するものです。

古来より護摩は重要視されてきました。なかでも五壇法は不動を中心とする五大明王を横におまつりし、それぞれを本尊として五人の阿闍梨が同時に護摩供を修して祈祷するもので、これを主宰するのは天皇に限られていましたが、のち藤原貴族によっても修せられるようになったものです。実際に、護摩のの煩悩を焼き尽くすがごとく燃えあがるさまは、実に美しく感動的なものです。

火中に投げられた五穀や五香、香油の香りは、境内からから本堂に近づくだけでも、何となく嗅ぐともなしに嗅ぐことができます。その芳香は、天上の神にも達せずにはおかない、神秘的で、エキゾチックな香りです。

火神・アグニ

火天(十二天のうち)
火天(十二天のうち)

そもそも蘇油、五穀、五香、切花、薬種などの供物を火中に投ずることは、神と人との媒介者で、祭壇における供物を天に運ぶ使者と信じられた火神、火天、アグニ(Agni)が、天上の神々に供物を運ぶことによって供養者の本意が如実に神々に通ずるとの思想にもとづくものです。 そのようなバラモン教の火の祭式である護摩が、密教に取り入れられたのです。

そして、密教の護摩は、攘災招福のような世間的願望をも達成しうるのはもちろんですが、さらにそれ以上に精神的解脱(さとり)をも成就しうるように、修行法として組織されたところに大きな特色があります。

すなわち智慧の火(智火)で煩悩の薪を焼き尽くし、悟りの心(菩提心)を実現することを目的とします。

護摩の手法

護摩には、護摩壇を構え、実際に火を燃やし、供物をその中に投ずるなどの事作法を主とする外護摩(事護摩)と、事物によらず理念的に煩悩の焼除を瞑想する内護摩(理護摩)とがあります。

普通、護摩といえば前者の外護摩をさしますが、外護摩を修法する阿闍梨の心中では、内護摩の煩悩滅却の炎が燃えているのです。

護摩はまず壇に本尊を安置し、火炉に護摩木を井桁に組み上げ、火を焚いてその中に種々の供物を投じます。そして、行者が火天の三昧に入って、火天を招き、さらに本尊の三昧に入って本尊を火炉に召請し、本尊と火炉と行者とが一体となって供養します。

また、行者が手に印を結び(身密)、口には真言を唱え(口密)、心に本尊を念じる(意密)ことによって、本尊と行者の身口意の三密が相互に渉入し(三密相応)、本尊が行者に入り、行者が本尊に入り(入我我入)、本尊と行者と一切衆生が結ばれ、本尊の加護が一切衆生に及び所期の目的が達成されるのです。

ほかにも、「八千枚護摩供」と呼ばれる特別な護摩供があります。8000本の護摩木を長時間焚き続けるという秘法です。いわば、私たちの願い事や煩悩が尽きぬかぎり、護摩の火も絶えることはないということです。

護摩の本尊

護摩の本尊は、必ずしも決まっていたわけではありませんが、一般には、不動明王が広く行われています。不動明王は、火生三昧に住し、すべての煩悩障碍を焼き尽くすという点において、護摩法の本尊にふさわしいのでしょう。

もっとも、当山では、毎朝、摩利支天を本尊とする「摩利支天護摩供秘法」を勤修しています。

摩利支天が、常に太陽の前にあって、陽炎(かげろう)を神格化された尊格であるがゆえ、護摩供の火炎光が尊天への最上の供養となります。皆さま方の願いを護摩木に託し、火炉に投じながら一心に祈念しています。

オンマリシエイソワカ
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