毎月1日、摩利支天のご縁日。午前11時から護摩と法話があります。

宝泉寺|鏡花も描いた天狗すむ場所、五本松

天狗のすみか五本松 金沢宝泉寺

天狗のすみか五本松 金沢宝泉寺

浅野川大橋から卯辰山を見上げると、五色の吹流しを風になびかせている高台が見える。卯辰山西端に建つ摩利支天を祀る宝泉寺である。設立は慶長六年頃までさかのぼる真言宗の寺で、諸芸の神としていまも参詣者が絶えない。浅野川低地を隔てて小立野、兼六園、金沢城址に対峙している。日本海まで見渡せるのだが、バブル期頃から建ちすぎたビルに遮られ、ほとんど見えなくなった。

この高台から俯瞰する景観は、街並の猥雑さを優雅さに変換してくれる限界の高さだろう。これより高くなると景観は地図のように平坦になりはじめる。山頂の望湖台からの景観は、ここよりはるかに地図的である。

泉鏡花

泉鏡花

この高台を「五本松」と呼ぶのは、幹が五本に分かれた松の木があるからだ。五本松には天狗(てんぐ)がすんでいると言われている。宝泉寺拝殿入り口に、天狗の面が一対掛けられている。石彫りだが、その一つは烏(カラス)天狗だ。空を飛ぶ烏天狗は高台にはイメージがぴったりだ。

泉鏡花の小説に「五本松」というのがある。″幾年経(いくとせふ)るか、老松一株、丘の頂きに立って居るかが、根から五本に別れて、梢が丸く繁っている(中略)五本松は荒御魂(あらみたま)の魔神の棲家(すみか)であることを誰も知らないものはいない。この神木に対して、少しでも侮辱を加えたものは立処(たちどころ)にその罰を蒙(こうむ)るという″

 

芸妓も怖がる

東の郭が華やかだった頃、芸妓さんたちは五本松をなぜかとても怖がっていた。常連客が交通事故で亡くなったとき、「五本松で立小便したからだ」と本気になって話し合っていた。鏡花の「五本松」にも深夜酔って大声で歌を歌って五本松を通り抜けたら、その夜、怖い夢にうなされて眠れなかった話や、新築の家に天狗が出て家を揺すった話などが書かれている。鏡花も五本松には天狗がすむと思っていたのかもしれない。

温知叢書の五本松の記録には″目回リ五間(9メートル)、高さ二十間(36メートル)、五幹ニ分岐シ亭々トシテ、観音町三丁目ニ望ム崖上ニ直立ス″とあるがその後、崖が崩れ松の根が露出し明治35年頃伐採されている。そのあと植えられた五本松も終戦後枯れ、いまあるのは鏡花の書いた五本松から三代目である。台風に痛めつけられながらも五本の枝に注連縄(しめなわ)を張り巡らせ金沢の街を見下ろしている。

野仏の宝庫

宝泉寺は野仏の宝庫でもある。昭和6年に弘法大師没後千百年を記念して四国八十八ヶ所の礼拝所が作られた。四国八十八ヶ所の本尊に模した八十八体の野仏がこの丘に並んでいて、四国巡礼の模擬体験ができる。70年前に彫られた野仏なのに、曲線彫りの抽象的なもの、三面八本の手を持つキュビズムを思わせる石仏など古さを観じさせない石仏もある。巡り終えると心安らぐ静けさが湧く。

野仏郡の傍らに無縁墓を集めた一画がある。そこで花を供えている婦人に出会った。

「どこのどなたか知らないけどお参りしたいんです」と線香に火をつけた。私も一緒に手を合わせた。どんな立派な墓をつくっても、いつかはきっと無縁墓になるのだなと思いながら。

(国本昭二、エッセイスト、金沢市。北国新聞「ふるさと万華鏡」)

ここが、ポイント!

生前、国本昭二さんが宝泉寺から見る金沢の景観と卯辰山からみる金沢の景観を比較して、「宝泉寺から俯瞰する景観は、街並の猥雑さを優雅さに変換してくれる限界の高さ。これより高くなると景観(卯辰山)は、地図のように平坦になりはじめる」と、よくおっしゃっていた。ようするに「卯辰山から眺める景観は、宝泉寺の眺望よりはるかに地図的である」ということだ。

また泉鏡花は、「町双六」のなかで、宝泉寺から見る金沢の景観を「大きな双六(すごろく)」に見立てている。単なる風景ではなく、生きた人間の暮らしが見渡せる絶妙の高さ。それが宝泉寺からの眺望である。

藩主がここに富田重政をして、摩利支天のお堂を建立させた理由は、まさにここにある。この要所を、摩利支天の隠形の力で、是が非でも隠しておきたかったに違いない。

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