護摩の炎、煩悩を焼き尽くすがごとし。究極の護摩法を求めて

バラモン教におけるホーマ
目次

 一切衆生とともに、仏道を成ずる炎の祭式

護摩は、サンスクリット語「ホーマ(homa)」の音写で、供物を火中に投げ入れて祈願する「焼施」を意味します。

その宗教儀礼は、火の祭式で、インドでは紀元前12世紀頃に成立したといわれる『リグ・ヴェーダ』(バラモン教最古の聖典)の当時から現在に至るまで広く行われており、またチベットにおいてもみることができます。

インドのバラモン教における炎の祭式が密教に取り入れられた儀礼、それが護摩法です。 火炉に護摩木を積んで燃やし、火中に五穀、五香などを投じ、香油を注いで供養することによって願主の願い事を達成するものです。

ホーマの儀式

松本清張氏は、ヒンドゥー教のホーマ儀式を実見されています。

ヒンドゥー教寺のシヴァ・ヴィシュヌ寺院の臨時に設けられた儀式場において、鑽火で火を起こしてホーマが行われたようです。

向かい側の臨時「儀式場」へ行く。寺ではテレビ用に見せていないというので倉庫を借りたらしい。木燧(もくすい)で神火を得る最中。方二十センチばかりの木台に穿った穴に木の棒を押し入れて両手で揉みこむ。日本の伊勢神宮や出雲大社などの神事として伝わる鑽火(きりび=火鑽臼と火燧杵)に似る。なかなか発火しない。ようやく「心細い」炎が、火燧杵の先に起る。傍の炉は、方一メートル、深さ一メートル。古い日乾し煉瓦で基壇となっている。六十歳ばかりの導師は木に生じた火を周囲の伴僧十人ばかりに見せて、呪文をとなえる。導師はスンダル・ラマン・ディキシットという。ディキシットは称号。

(中略)

導師は伴僧と供にリグ・ヴェーダ(讃歌)を称え、供物を炉の火中に投ず。バラモンのリグ・ヴェーダはヒンドゥー教では呪文に変えている。

このホーマで燃やすものは、ワラディーという牝の牛の糞。プラスの木(1008本)、油(ギー)、サルサの根(方向を発する)。供えるものは、椰子の実、バナナ、牛の乳、バラ・ジャスミン・菊などの花弁、マンゴーの葉。芝草、芥子、甘い煮物。「聖水」を撒く。

修されるホーマはマハーカリーのチャンディの型で、悪魔を呪い倒し、幸福をもたらすというもの。今回は十二人の僧で午前十一時から火を起こし、午後二時半まで三時間半火を燃えつづけさせた。ホーマが音訳されて中国密教の「護摩」となったのはいうまでもない。

(中略)

現在、イランのヤズドのゾロアスター教の本部で行われている「ハオマの儀式」をわたしは実見したが、ハオマ酒をつくる材料を入れる小皿をたくさんならべていることといい、真言密教の独鈷杵に似た金具の棒を添えていることといい、高野山で行う護摩壇の原形を見るような気がした(拙著『ペルセポリスから飛鳥へ』参照)。

しかし、シヴァ・ヴィシュヌ寺院で行われたホーマの儀式では、ヤズドのゾロアスター教神堂ほど厳格ではなかった。ヒンドゥー教はこれをハオマ儀式からとり入れたものの、ヒンドゥー教ふうに変えたものだろう。

(『密教の水源を見る』松本清張)
まりちゃん

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ホーマの儀式
ホーマの儀式(『密教の水源を見る』松本清張)
ホーマで燃やす供物
ホーマで燃やす供物(『密教の水源を見る』松本清張)
ホーマで燃やす供物
ホーマで燃やす供物(『密教の水源を見る』松本清張)

一方、私たち真言行者の護摩法は、より洗練されてスタイリッシュ! たんに火の中に供物を投げ入れて、火の神々に願いごとが叶うように祈るだけではありません。

護摩修法を通じて、行者と本尊、一切衆生の三者の平等性を体験することに主眼を置きます。一見すると、バラモンの護摩と同じように見えるかもしれませんね。

供物を火中に投げ入れると同時に、煩悩を薪と見立て、仏の智慧の火で焼き尽くし、さとりを求めるための仏道修行へと昇華させているのです。

金沢 摩利支天 宝泉寺
金沢 摩利支天 宝泉寺

実際に護摩の煩悩を焼き尽くすがごとく燃えあがるさまは、実に美しく感動的なものです。

まりちゃん

火中に投げられた五穀や五香、香油の香りは、境内からお堂に近づくだけでも、なんとなく嗅ぐともなしに嗅ぐことができます。その芳香は、天上の神にも達せずにはおかない、神秘的で、エキゾチックな香りです。

 火神・アグニ

火天(火の神、アグリ)は、神様と人との媒介者で、祭壇における供物を天に運ぶ使者と信じられています。火を媒介として、人が天上の神々に供物を運ぶことによって、供養した人の本意がしっかり神々に通ずるという考えにもとづくものです。 そのようなバラモン教の火の祭式である護摩が密教に取り入れられたのです。

密教の護摩は、攘災招福(災いを払いのぞいて福を招く)のような世間的願望をも達成しながら、さらにそれ以上に精神的解脱(さとり)をも成就しうるように、修行法として組織されたところに大きな特色があります。

メラメラと燃える火は、ただの火ではありません。仏様の智慧の火(智火)です。これによって煩悩の薪を焼き尽くし、悟りの心(菩提心)を実現することが護摩の目的です。

火天(十二天のうち)
火天(十二天のうち)

護摩の手法、やりかた

護摩には、護摩壇を構えて実際に火を燃やし、供物をその中に投ずるなどの「事作法」を主とする外護摩(げごま=事護摩)と、事物によらず理念的に煩悩の焼除を瞑想する内護摩(ないごま=理護摩)とがあります。

ふつう、護摩といえば前者の外護摩をさしますが、外護摩を修法する阿闍梨の心中では、内護摩の煩悩滅却の炎が燃えているのです。見えない沈黙の火です。

護摩はまず壇に本尊を安置し、火炉に護摩木を井桁に組み上げ、火を焚いてその中に種々の供物を投じます。そして行者が火天の三昧に入って、火天を招き、さらに本尊の三昧に入って本尊を火炉に召請し、本尊と火炉と行者とが一体となって供養してゆく行法です。

行者が手に印を結び(身密)、口には真言を唱え(口密)、心に本尊を念じ(意密)ます。これによって本尊と行者の身口意の三密が相互に渉入し(三密相応)本尊が行者に入って、行者が本尊に入り、本尊と行者と一切衆生が結ばれます。「入我我入(にゅうががにゅう)」です。火を介してすべてが一つにつながる境地があらわれます。そこに本尊の加護がおよんで、目的が達成されるという仕組みです。

理屈はそうなんですが、それをいざやってみると、身体も言葉も心もバラバラです。それを一つにまとめるために、護摩になりきる練習が欠かせません。ちょっとやそっとではできません。一生かけて求め続けるほかないでしょう。

火天召請と供養壇

護摩には古代インドのヴェーダ以来、火天が基本であり、いかなる本尊のために護摩を修するにしても、まず火天を炉中に召請し供養します。護摩法の一番大切なところです。

次いで本尊に関係のある他の諸尊や世天(天部)を召請、供養します。護摩法の組み立ては、一段より九段にいたるやり方があり、手法の目的に応じて用います。

諸経軌には次のとおり。

諸経軌にみる護摩の段数と召す請する諸尊
段数召請する諸尊典拠とする
経典儀軌など
一段護摩火天のみ『大日経』「世出世護摩法品」
二段護摩火天、本尊『火吽供養儀軌』
三段護摩火天、本尊、諸尊『尊勝仏頂儀軌』
四段護摩火天、諸尊〈本尊合供〉、世天、後火天『金剛頂略出経』
五段護摩火天、部主、本尊、諸尊、世天『陀羅尼集経』
六段護摩火天、部母、本尊、滅悪趣、後火天、世天『陀羅尼集経』
七段護摩火天、曜宿、部母、本尊、諸尊、滅悪趣、世天空海『護摩次第』
九段護摩火天、宿曜、本尊、諸尊、世天、羅惹、百官、法界有情、自身増蓮『四種護摩要抄』

これらのうち東密では小野(曼荼羅寺)・随心院・醍醐寺)、広沢(大覚寺・仁和寺)を通じて五段護摩を修することになっています。

それも弘法大師空海上人の『息災護摩』による「火天・本尊・諸尊・後火天・世天」の五段護摩です。小野の仁海僧正(951ー1046)が、『陀羅尼集経』第十二により「火天・部主・本尊・諸尊・世天」を修してからは広くこれによっています。これを修したあと、さらに神供壇を別に設けて八方天等を供養します。

後火天段は『蘇悉地経』「護摩法則品」などに、「護摩が終って供物に残余があれば、再びこれを火天に捧げよ」と説かれることによって成立したようです。世天段に先立って、後火天段を修します。

まりちゃん

護摩供という修法は、アタマでわかっているような気がしても、カラダが自由に動かないと護摩供にはならない。毎日練習しないと、カラダは正直。いざというとき、動かない。

護摩ができているのか、そうではないか、行者の後ろ姿を見れば、一発で見抜けるよ。ごまかしのパフォーマンスは一切通じないよ。自分はごまかせてもね。

住職

まりちゃん、きびしいな

さまざまな護摩修法と目的

護摩の本尊

護摩の本尊は、必ずしも決まっていたわけではありませんが、一般には、不動明王が広く行われています。不動明王は、火生三昧に住し、すべての煩悩障碍を焼き尽くすという点において、護摩法の本尊にふさわしいのでしょう。

当山では、毎朝、摩利支天を本尊とする「摩利支天護摩供秘法」を勤修しています。

息災法に用いる薬種

薬種(やくしゅ)は、世間の上薬をもって一切衆生の煩悩の病を療ずる意味で用い、護摩供のたび毎度これを焼きます。

薬種は生薬を煎じ服用するに譬えられ、これを焼いて、心安らかな境地に至らしめんと祈ります。

たとえば、息災法では、次のとおりです。

息災法に用いる薬種
白朮(びゃくじゅつ)

白朮(びゃくじゅつ)

菊科オケラの根。精油を含み特有の香りがあり、防菌、防カビ作用がある。
人参(にんじん)

人参(にんじん)

ウコギ科の多年生草本オタネニンジン(チョウセンニンジン)の根をそのまま、または外皮を削り晒して乾燥したもの。
黄精根(おうせいこん)

黄精根(おうせいこん)

ユリ科の草本、ナルコユリの類の根茎を蒸乾したもの。
甘草(かんぞう)

甘草(かんぞう)

マメ科の多年生草本カンゾウの根。中国北部の乾燥地帯に野生する。
遠志(おんじ)

遠志(おんじ)

中国北部産。ヒメハギ科の草本イトヒメハギの根。
拘杞子(くごし)

拘杞子(くごし)

ナス科の低木クコおよびナガバクコの果実。
天門冬(てんもんとう)

天門冬(てんもんとう)

ユリ科、蔓草クサスギカズラの根の外皮を剥いで蒸乾したもの。
桂心(けいしん)

桂心(けいしん)

クスノキ科の高木ニッケイ類の樹皮。中国南部、ベトナム、タイなどに産する。
地黄(じおう)

地黄(じおう)

ゴマノハグサ科のカイケイヂオウの根。

〈参考文献〉カラーブックス197「漢方薬入門」難波恒雄・保育社 1970年発行

住職

摩利支天が、常に太陽の前にあって、陽炎(かげろう)を神格化された尊格であるがゆえ、護摩供の火炎光が尊天への最上の供養となります。皆さま方の願いを護摩木に託し、火炉に投じながらねんごろに祈念いたします。

八千枚護摩供秘法

護摩の延長線上に「正焼八千枚供」と呼ばれる特別な護摩供があります。ふつうの護摩供では108本のところ、8000本の護摩木を長時間かけて焚きあげる護摩供。これが八千枚護摩供です。8000本の護摩木は尽きることのない私たちの願いや煩悩の象徴です。だからこそ護摩の火を絶さず、護摩を生活化する工夫が必要となります。それが八千枚護摩供秘法です。

住職のライフワークは、こちら

炎の儀式(開運一番護摩供)


卯辰山寺院群の正月]山ろくに息づく炎の儀式


激しく打ち鳴らされる太鼓の響きと読経に呼応するように、護摩壇(ごまだん)の炎が三メートルまで舞い上がる。薄暗い本堂の中、ゆらめく炎の明かりが一心に祈る信徒たちの表情を照らし出した。卯辰山中腹に位置する宝泉寺(金沢市子来町)の新年は、開運勝利を祈る護摩供(ごまく)とともに明けた。
「お寺参りは一つのけじめやから、二十年以上欠かしたことがない。息子たちにも続けてほしいから、連れて来とるんや」。信徒の一人、臼村昇さん(52)=同市笠舞二丁目=は、市内の神社数社で初詣を済ませた後、宝泉寺を訪れた。


護摩木に願い込め

「商売繁盛」「厄難消滅」「身体健全」。炎にくべられる護摩木(ごまき)には、信徒たちのさまざまな願い事が託されていた。宝泉寺の本尊は、障害を取り除き、保財、勝利をもたらすとされる摩利支天(まりしてん)。県議、市議ら政治家が参拝する選挙の祈願寺としても知られ、永井柳太郎や阿部信行ら戦前の政治家が寄進した石柱や額も残っている。


卯辰山には、真言宗のほか日蓮宗や禅宗系の寺院も集まっている。逆に言えば、浄土真宗の寺院が少ない。一向一揆の柱となった一向宗(浄土真宗)寺院を統制するための、加賀藩の巧みな都市計画の結果であるという。


利家も信仰身につけ出陣


辻雅榮(がえい)住職がくべる護摩木の数が増えるにつれ、信徒の願いが託された炎は勢いを増す。摩利支天は武士の守護神ともされ、加賀藩祖前田利家もかぶとの中に像を納めて出陣したと伝えられる。
新年の卯辰山ろくには、北陸に根付いた浄土真宗系寺院とは色彩の違う祈りの風景が広がる。多重、多彩な金沢の歴史と信仰の形を包み込んだ金沢の精神風土を、卯辰山ろく寺院群に垣間見ることができる。

(「四季のうた」北國新聞2002年1月3日)
まりちゃん

毎年、大晦日から元旦にかけて、縁起の良い開運一番護摩供を勤修いたします。どうぞおまいりください。

金沢 摩利支天 宝泉寺 オンマリシエイソワカ
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